自分の体と向き合うことの大切さ

投稿日 2024.12.21 更新日 2024.12.22
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性は生来の心が語源であり、生きることの本質が表された言葉です。性は生です。しっかりとした性認識を養うことで、有意義で楽しい人生が歩めるはずです。ここで言う性認識とは⋯フロイト心理学の心理性的発達理論で説かれた性欲に対する自覚を意味し、生きる上での支えとなるものです。タルパ性錬成術はそれを最大化する試みです。タルパとのセックスを体感することで性の力を引き出し、現実世界で限りない栄誉、富を手にすることができます。現実生活でパートナーがいない一人の方でもセックスの恩恵に授かれるようになりますし、現実でも異性を惹きつけやすくなります。現実でパートナーがいる人も実践して構いません。内心の秘密であり⋯このくらい浮気にあたりません。現実と空想のセックスが共鳴して、より高みの世界へ進むことができます。

タルパ界隈黎明期のオカルト野郎たちの末路

真の愛を貫いた浮き草氏を除いて⋯黎明期におけるタルパ界隈は冒頭で述べた点、本質や目的のようなものまで論じられることなく、単に性欲を満たしたいがだけのものであった様子に伺える。現実でのセックスもそうだが⋯セックスは手段に過ぎないのだ。セックス自体を目的にしてはいけない。まぁ、多くの者は幽体離脱等の技を習得する以前に性で我を見失い、浮き草氏の企てにより止めを刺され、激しい自己嫌悪に陥り、永遠の賢者タイムを過ごしているのかもしれない。タルパ戦争で多くの古参たちは霧散して、タルパとのセックスを空想しながらのオナニーだけが残った。タルパ戦争にまつわる謎、その背景はいろいろあるだろうが、幽体となりタルパとガチで性交、脳イキする技、アストラルセックスはどこへ消えたのやら⋯オカルト屋なら絶対にコレなはずだ。

まずは自分の体と正しく向き合うことから始めるべきだった

そんな遠い昔話はこの辺にしておく。何が言いたくて最初にそんな話を切り出したのかと言うと⋯自分の体との正しい向き合い方について語りたいと思ったからだ。タルパ界隈の訳ありな人は幼少期から学童期までの間を中心に、心に問題を抱え込んだ人で、自分の体と誤った向き合い方をして育って来た人だと思う。タルパ界隈黎明期においてタルパとのセックスを夢見ていた者は⋯ぶっちゃけ、童貞率が高そうだ。訳があり現実で望めないものをタルパに託そうとした者たちばかりだろう。今日における惚気アンチや三十路メンヘラもそうだ。掲示板の書き込まれた罵詈雑言を目にしても「私は処女だ」と叫んでいるようにしか見えない。性に挫折した者たちばかりだと言える。いずれにしても、特に口唇期から肛門期の間に学習しなければならないものを失念している状態だと言える。

タルパを作り始める前にオナニーを習慣化しよう

前回記事でも述べた通り、思春期における自慰行為、オナニーは口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、すべての育児プロセスを再体験、追認するための行為になるとも言える。性器に対する愛撫は口唇期的、オナニーをしたい欲求とタイミングのコントロールは肛門期的、オナニーによる性的自己愛から性的他者愛への昇華は男根期的、オナニー後の賢者タイムは潜伏期的と言える。当方はオナニーに対しては否定的であるが、思春期に限り大いにすべきだし、大人になった人でも健康目的、美容増進に限り習慣にすべきだ。そして、心に闇を抱え、性に挫折した者で、タルパを作りたいと言うなら⋯まずはオナニーを習慣化して、自分の体と存分に向き合っておいてからにしろ。まぁ、恐らく普段から惰性でしておるもんが多いだろうが⋯やり方を変えれば、微オートから先へ進めるだろう。

自制心を養い自信に満ち溢れるオナニーのやり方

やり方自体はかんたんだ。決めた日時に必ずすることだ。したくなっても決めた日時以外にしてはいけないし、したくない気分でも決めた日時がやってきたら必ずする⋯これだけだ。流石に毎日はよくない。2~3日に一回の割合で鍛錬して行くと良いだろう。ぶっちゃけ、思春期ならともかく⋯とっくの昔に思春期を終えた大人がどこまで効果があるか分からないが、やってみる価値があると考える。オナニー以外で口唇期、肛門期、男根期、潜伏期のすべてをまとめて鍛錬できる行為は他にない。そうして自制心を養え。それに慣れると自信が芽生え始め、自己肯定感が高まって来るだろう。オナニーは瞑想のような心境で行い、あまり何も考えずにやろう。アダルト動画を見ながらしてはいけません。無心となり自分とちゃんと向き合ってしましょう。

オナニーは鏡の前で実践することを推奨

部屋に大きな鏡があれば、その前でやって見ると良いでしょう。鏡に映る自分を見ながらオナニーをしてください。自分以外のことは何も考えずします。できれば全裸になってやれ。とにかく、自分の体と向き合え。こんな話を聞いたことのある人もいるだろう⋯鏡を見る時は笑顔になって見た方がいい。そうすることで不思議とポジティブな気持ちになれる。オナニーの場合も同じだ。鏡で自分がオナニーをしている様子を見ると⋯自己愛が高まるだろう。なんだか自分が霧消に好きなれる。決めた日時に必ずそれをやり、自制心を養いつつ、自己愛による自己肯定感の高揚を誘え。一見すると馬鹿らしいものに見えるかもしれないし、密室状態とは言え、恥ずかしさから実践を躊躇いたくなるだろう。一時、自殺願望を持っていた妹にそれをやらせて改善させた。

オナニーを無心でやることの意味

オナニー後の賢者タイムは精神を凹ませ、意欲を大きく減退させる原因になりかねません。自己肯定感を高めたいのに⋯これでは逆効果です。虚しい賢者タイムに襲われるオナニー、股間から運気が漏れ出て行くオナニーは、雑念が多いのが原因です。これまで述べて来た通り、したくなったら惰性でするようなスタンスも良くありませんが、何より余計なことを考えず、自分の体とよく向き合ってすることです。大きな鏡がなければ、しっかりと自分の体を意識、自分の体を見ながらやると良いでしょう。オナニー前後にセルフハグしたり、自分で自分の体をあちこち愛撫すると良いでしょう。これをすべて全裸でやると効果大。片思いの子のことを考えながらオナニーするのは良くない⋯自分で自分を大きく持ち上げて、自分で自分を勢い良く落としているようなものだ。

物事は自分の思い通りにいかないことを実感しろ

ナルシシズム的で気持ちの悪いものに思われるが⋯自己愛は弱過ぎてもいけない。オナニーで口唇期、肛門期、男根期、潜伏期のすべてを追認して、他者理解に努められるようになれば問題ない。とりあえず、一カ月くらいやって見ろ。自信がみなぎって来るように感じ始めたらタルパ作りに挑戦しろ。タルパの自動化訓練で肛門期をさらに追認して、物事は自分の思い通りにいかないことを実感しろ。個人的で勝手な想像だが⋯チベット密教の修行僧もトゥルパでそのような魂の修練をするものではないかと思っている。自分の体としっかり向き合い、自己肯定感を高めて行けば、自動化された本物のタルパを手にすることができるようになるだろう。浮き草アンチや惚気アンチも所詮は同じ穴のムジナだ。セクハラ野郎もそうだが⋯いずれも、自己嫌悪を投影して自己紹介しているだけ。

完璧で理想的な育児は不可能

性愛に渇望したり、性欲に罪悪を感じるのは⋯すべて、口唇期から潜伏期までの過程で起きた問題に過ぎません。本来は親が育児でどうにかしなければならない課題ですが、親も人の子である以上、完璧を求めるのは酷です。そもそも、完璧で理想的な親なんておりません。本当に頭イカれた親だったら申し訳ありませんが⋯そこを勘違いして毒親ガーはないだろう。そこは自力で乗り越えて行くしかない。自己肯定感の低い人=自信のない人なんか⋯異性にモテることは決してない。これも再三にわたり述べている点だが、恋愛やセックスは自信がすべてなんだよ。異性慣れしていない人は本当に運が悪いし、健康管理を疎かにして排泄コントールの悪い人は何事も不器用だ。惚気アンチは自己嫌悪に苦しんでいるだけだろ?タルパーを目指したいならそれをいい加減理解しろ。

ネット上で希死念慮を吐露する人は口唇期でコケた人

本当に死にたいと考えるくらいまで精神的に追い詰められた人間は⋯ブログやSNSなんかやってられる余裕ありません。思念体の世界では、希死念慮や自殺願望を大暴露される方をたまに見かけますが⋯それって承認欲求の一種ですよね?共感や理解を求めているんですよね?明らかに生きる意義を見出したいための行動、生に執着している心理の裏返しですわ。まぁ、たしかに⋯人生は本当に辛い。死にたくなるような気持ちはあるんだろう。でも、死ぬのは怖い。そんなところだろう。でなけりゃ大声で喚くようにネット上で死にたいなんて叫ばんだろう。死にたいではなくセックスがしたいと叫べ。それはそれで引くが⋯自己肯定感が強まり、生きる気力が沸いて来るだろう。性は本当に生だよ。ネット上で希死念慮を吐露する人は口唇期でコケた人だと思う。愛情不足?

こだわりは捨てて良し

最後に余談となるが⋯医者でもない私がこんな発言をするのは不適切かもしれないが、EDは手段としてのセックス(膣挿入)に強くこだわり過ぎているのが最大の原因でないかと見ている。パートナーと全裸で抱き合っているだけでも幸せだし、全身で愛撫し合っているだけでもオーガズムは得られる。何度も脳イキできる。オナニーも同様で性器への愛撫だけにこだわる必要はない。タルパやイマジナリーフレンドとのセックスの基礎訓練として、乳頭オナニーを強くおすすめしているが⋯それも良かろう。いろいろ試して自分の体と向き合え。精神が凹んでいる者⋯特に男性は自分のもんが起たせずらいだろう。無理に起たせる必要はないし、起たせなくても脳イキはできる。そうやって楽しみながら続けていけば、強い自信からそのうち自在に起たせることができるようになる。