赤いきつねアニメCM性表現論争に見る賛否両論の限界

投稿日 2025.02.23 更新日 2025.02.28
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まず、みんな冷静になろう⋯とりま、赤いきつねと緑のたぬきを買って食べようじゃないか。両商品はもはや国民食である。食べ物に罪はない。で、タイトルの件やが⋯恐らく、今回のこの一件はフェミニストが大敗北を期す出来事、社会文化史に残る大転換点となるだろう。しかし、反フェミニズムが勝利する訳でもない⋯ぶっちゃけ、フェミニストを批判している側も実態は似たようなものである。双方、本音を隠して意見を主張し合っているため、問題の本質から遠退く一方だ。今のままでは⋯本当の意味での男女平等社会の実現はますます難しくなるし、おかしな同調圧力や暗黙の了解のようなものが出来上がってしまい、表現の自由が脅かされる不自然な社会風潮が形成されてしまう。民主主義の根幹を揺るがしかねない危機的状況に直面していると言えるだろう。

炎上騒ぎに発展して物議を醸した一本のCM

2025年2月、東洋水産がネット向けに発表した「赤いきつね」新CMが物議を醸し、SNSを中心に瞬く間に炎上騒ぎへ発展した⋯若い女性が赤いきつねを食べる様子や仕草が性的であると批判を集めたのだ。結論から言ってしまうと⋯非実在型炎上を呼ばれる一過的な集団心理現象のようなもので、察しの通り、フェミニストを中心とする一部の女性が騒いでいただけに過ぎない事件だった。この一件に限らず、ネット上における炎上騒ぎの多くはノイジーマイノリティによるものだ。現状において「性的に見えない」「別に普通」の意見が優勢だ。実際、登場人物となる女性が肌を露出していた訳でもないし、カップ麺をただ美味しそうに食べているだけだ。このCMはアニメとなるが⋯昨今の映像技術の高さから非常に繊細な描写となっていた点が賛否を分けた要素となったようだ。

常識的に考えて何も問題ないが結論

女性が顔を紅潮させながらスープを飲んだり、髪をかき上げながら麺を啜る様子などが議論の注目点となり、これらが性的で不快感の覚えるものに見えるか否かで賛否が分かれた。熱々のスープを飲めば体は温まるから顔が赤くなるのは当然だ。髪の長い女性がスプーン等で飲食物を口に運んだり、麺を啜る時に髪をかき上げるのは普通だ。上述した通り、圧倒的大多数は「性的に見えない」の声となる。常識的に考えて何も問題ないし、東洋水産はフェミニストの抗議の声なんかガン無視でいい。そう言う風に思ったり感じる、受け止める感性そのものが猥褻的で卑屈な発想であり、歪んだ性認識を持った者の感情的な言動と言える。実際、CMの制作を手がけた関係者への誹謗中傷も絶えない状況だ。もう法的阻止に出てもいいだろう⋯と、ここまでは世間一般的な話となる。

人間の自然な性欲に起因するものまで批判するのは無理がある

ただ、性的な意識、感覚には⋯潜在的なものと顕在的なものがある。フロイトの心理学でも語られている通り、人間の行動原理は性欲に基づくものだし、深層意識の世界は性的な要素で満ち溢れている。通常、それらは無自覚、無意識、潜在的に作用しているだけで、心理性的発達理論における男根期から潜伏期までの人格形成プロセスで、そのように心をコントロールするよう学んで育って来ただけに過ぎないのだ。普通の日常生活でセックスを大っぴらの語る変人なんかそうそういない。しかし、一部で感情を大きく揺さぶらせて性的な意識を顕在化させたがる人がいる。それが昨今のフェミニストと言えるだろう。男女差別やセクハラ行為は断じて許してはならないが⋯人間の深層心理で作用している自然な性欲に起因するものまで、批判の対象にするのは無理がある。

必要以上の反論も逆効果

昨今のフェミニズムは個人的な事情に基づく社会に対する復讐、ルサンチマンにしか見えない。他者の性的美意識追求に対する阻害行為、女性としての自分らしさの追求を貶めたいだけの嫉妬にしか見えない。本当に男女平等社会を実現したいなら、政策レベルでのもっと高い次元の議論を求めたい。短編アニメ一本如きで性的云々と喚き散らす大人はみっともない。子供もそんな大人を見たら不安になるだろう。問題はフェミニスト側に留まらない。冒頭でも述べた通り、これを批判する側も一定の自制は必要だろう。必要以上の反論も逆効果だ。別に性的に見えない⋯その一言で十分。あとはスルーに尽きる。潜伏期で養った社会性に基づく自制された性欲で見る分「性的でない」と言えるが、潜在的には性器性欲的な要素が随所に刷り込まれた映像になると言えばなる。

エロくない人なんてこの世にいない

潜在的な性欲を不自然、不必要にほじくり返して表面化させているだけのつまらない人たち、世の中を窮屈なものにしている人たちが⋯昨今のフェミニストたちの正体と言える。しかし、人間の感性は本当に十人十色だ。100人いれば何人かは、その潜在的な性欲と結びつき生理的嫌悪感を覚える人が出て来るのも、また人間の自然な行動原理である。上で自分が⋯そう言う風に思ったり感じる、受け止める感性そのものが猥褻的で卑屈な発想と批評しておきながら言うのもなんだが、CMに抗議する人に対して「そう言う風に考えるお前がエロい」と一概に切り捨てるのも考えものだ。それを言ったらこの問題に首を突っ込む人すべてがエロいと言える。書く言う私もエロいし、こんなブログを運営しているのだからなかなかの変態である。エロくない人なんてこの世にいない。

性の本質を冷静に見つめ直す

与謝野晶子は当時の時代背景を鑑みれば先駆的な男女平等論者であったと言えるだろう。その一方で、同女史の個人的な性事情はともかく⋯処女歌集「みだれ髪」に見るような性表現活動や、女性としての自分らしさの追求にも尽力していた。これも当時の時代背景を考えたら、先駆的な女性解放運動的なものになると言えるだろう。つまり、昨今のフェミニズムは本来的な意味の男女平等論とはかけ離れたものであり、むしろ、女性が社会の中で自分らしく自然に生きることの否定に他ならないのだ。また、昨今のフェミニズムを批判する者も「性」の本質を見直すべき時期と言えるだろう。性的でないものを性的に見たり、性的なものを性的でないと⋯徐々に水掛け論的な構図へ論点がずれて行き、冒頭で述べたような息苦しい社会風潮が醸成されてしまうだろう。

男女平等論とセックスは切り離して考えるべき

男女平等論とセックスは切り離して考えるべきだ。男性としての自分らしさ、女性としての自分らしさ⋯この両者が対等になれば良いし、自然な性欲と両立して不自然で理不尽な社会にはならない。昨今のフェミニストは自然な性欲まで否定して無理をしているし、これに対して過度に批判、反論し過ぎると、本音と建前の乖離が進み自分らしさを見失う恐れがある。可愛い女の子が食べている様子を見ていると和むしほっとする。髪をかきあげ食べる仕草は女性としての気品を感じさせるチャームポイント的な行動だ。性的な要素がゼロと言う訳ではない。私のようなセックスを売りにする変態レベルの占い師ともなれば⋯カップ麺の紙蓋が処女膜に見える。しかし、これに女性蔑視の意図はないし、現実の日常生活では年齢に関係なくレディファーストを心がけて生きているつもりだ。

カップ麺のエロい食べ方コンテストでもやればいい

カップ麺の男らしいカッコいい食べ方、女性らしいセクシーな食べ方⋯もう、そう言うコンテストでもやればいい。優勝者は赤いきつね100個プレゼント!うるさい外野は放置、ガン無視でいい。女性が自らの美貌を武器に何らかの仕事をするのは別にいい。本人がそう望んでいるなら自由にさせろ。これにもっとらしい理屈を付けて批判し続けた結果として⋯赤いきつねアニメCM問題に辿り着いたと言えるだろう。これをこのまま放置すればソーセージやウィンナーまで製造中止、販売停止に追い込まれる。絶対⋯男性器に見えるから店頭から撤去して欲しいと言い出す者まで現れるだろう。たしかに、昔のCMは行き過ぎた性描写、不快に思うシーンはあり、今日においてそれは自重されるようになった。キモいと小学生レベルの中傷でそれ以上求めるのは理不尽だろう。

そもそもネット限定広告では?

そもそも、今回注目を集めたCMはネット限定のものであり、公共の電波を使用して放送された訳でもないようだ。嫌なら見なければいい⋯これに尽きる。ウマ娘を制作したゲーム会社に抗議した者たちもそうであるが、消費者と言う立場を利用して企業を糾弾している様子から、あからさまに相手を選んで行動しているのは見え見えである。昨今、学校の教員による児童、生徒への性的加害行為が目に余る状況となっているが⋯この件に限らず、明らかに実害の発生している事件、事象には一切無関心の様子だ。本当に抗議すべき先ならいくらでもある。世界を見渡せば、助けを求めている女性は大勢いる。こうした現実社会の理不尽と戦うのでなく、アニメにムキなるのは⋯個人的な所感となるが、とても幼いと思う。性に対して年齢相応に垢抜けて行くことの大切も覚える。

男女差別のない社会を目指すためにも

男女差別のない社会を目指しつつも、多くの人が「性」を良い意味で肯定的に受け止め、自分らしく幸せに生きることのできる世の中になればいいなと思います。そもそも、恋愛やセックスの本質は子孫繁栄であり、愛し合う男女が合意の上で行うべきものだ。恋愛やセックスにこそ男女平等意識、男女間で尊重し合うことの大切さを強く啓蒙して行かなければならない。この世に「男」と「女」がいる以上⋯理想的な男女平等社会をより早く実現するために避けて通ることのできない課題となるはずだ。個別に抱え込む性の悩みも本当に切実だ。こうした自然な性欲に対してまで、人格否定レベルで追い込みをかけて来ようとする⋯形だけの男女平等を唱える今様なフェミニズムはそう長く続かないだろう。セックスやエロスを肯定した新しい男女平等論の登場に期待したい。