タルパ作りの目的はなんでもいい。たくましくオート化が進めば

カムラッドは⋯
視聴覚的な効果、存在性に強いこだわりを持つ従来のタルパ観から距離を置き、目的意識で思念体を実践する思想となる。

荒れるタルパ界隈に辟易して⋯
新たに提唱された日本式ナフラ、和製ナフラや。なので、これまで主張されていたナフラとも微妙に違う感じもんになる。

ヘソライト博士が知恵袋で⋯
ナフラは「定義」より「目的」を重視と解説しておったが、カムラッドは定義も重視する。

このため⋯カムラッドは「存在」より「目的」となる。
ただ、視聴覚的なもんを否定する意味はない。タルパの姿をイメージする際に必要な要素や。

目的意識を持って自動化の訓練に臨めば⋯
従来の視覚化に相当するもんは勝手に追随して来る。自動化の訓練だけ集中してやればええわ。目的の重視とはそう意味でのもんや。

これまでのタルパ界隈のもんは⋯
視覚化と自動化をどうやってまとめて統合して行くのか?そこが曖昧な部分やったもんな。

結果、存在性との葛藤が生じて⋯
タルパは生きているんだぁあああ!!存在を否定するなよぉおおお!!と中二病みたいな⋯そんなみっともない状況が生まれた。

さらに、一人二役を⋯訓練なはずなのに常態化。
憑依的なナリキリ行為が横行。やっておる本人は自動化できているつもりらしい。変性意識による記憶情報定着、無意識化のはずやが⋯

単に芝居の練習をしておるだけや。
なんなら⋯学校で演劇部に入れば?社会人でも演劇サークルあるやろ。そう言えば、タルパ界隈に私的トラブルを持ち込んで来た⋯

声優サークルあったな。まぁ、そんな話はともかく⋯
目的意識があれば自動化はそちらに向かって進む。てか、目的意識ないと自動化なんか進まんやろ。

カムラッドの場合
従来の視覚化相当の訓練は特別意識する必要なし。現実空間を背景にした訓練でなく⋯夢の中での訓練やからな。

夢の登場人物としてのタルパの再現性を高め⋯
考えておる自動化の方向(目的)に育てて行くだけや。それは何でもええわ。セックスでもな。