幼児性欲と性器性欲

三大欲求の一つとされる性欲⋯以前にも述べたことではあるが、心理学の世界では三大欲求仮説に対する意見は分かれているようで、生命維持の観点から言えば排泄欲がこれに変わるのではないかとも言われている。確かに⋯オナニーやセックスができなくても死ぬことはない。個人的にもこちらの説を支持しており、性欲は食欲、排泄欲、睡眠欲の三要素を根底から支える上位包括的な欲求になるものと考える。フロイトとマズロー(三大欲求仮説の元ネタを説いた米心理学者)双方の観点から、人間の心理性的発達理論が考察できるようになると思う。とりま、タルパ界隈の問題児らは⋯心理性的発達理論、人間の性欲変質⋯幼児性欲から性器性欲への昇華プロセスを研究する上で、とても良いサンプルとなった。最終的なまとめ報告、研究結果を本稿で発表して行きたい。
本稿は特定の誰かを貶める目的で書き上げるものではございません。身に覚えのある方は気のせいです。心理学やセクソロジーを主軸にして語る、純粋な科学論文的なものになります。そこをカン違いされないようにお願いします。人間の行動原理は⋯すべて、潜在的な「性欲」の力により支配されています。それを自覚して活用しましょう。
人間の成長過程に見る性欲の変遷
三大欲求の一つとされる性欲⋯人が生まれて初めて体感する快楽となる。出産直後の赤子に与える母乳がそうだろう。厳密には授乳行為による口唇で感じる快楽となる。股間が未発達で弱くオムツが必要な赤子は⋯まず、口唇の快楽と食欲を結び付け、触覚で愛情を感じることで自我の源泉を形成する。その後、口唇で覚えた快楽は、3歳あたりまで排泄行為による肛門で感じる快楽に変質し、同時に人間性の基本とも言うべき自制心を養う大切な時期に入る。やがて、男性器の有無で自分の性別を自覚するようになり、そこを起点に自我が本格的に形成され始め、一人の人間としての性格、人格が築き上げられて行く。自然と異性への羞恥心を覚え始め、性差で社会性を学習⋯そして、第二次性徴を迎え、精通や初潮を体験することで、性器を意識した異性への関心を深め大人へ成長して行く。
子供が持つ性的欲求
幼少期において口唇や肛門で感じる快楽を「幼児性欲」と言い、第二次性徴あたりから性器で感じる快楽を「性器性欲」と言う。ただ、幼児でも⋯男性器の有無で性別を自覚する前後あたりで、性器性欲と似た行動が見られることはある。性器を玩具のように弄ったり、何かに擦りつけるなどの自慰行為が一過的に行われるようになる。また、エディプス・コンプレックスに見るような成人恋愛を模したような異性親への執着、同性親への葛藤も発生する。かと思えば⋯しばらく経つと異性を猛烈に毛嫌いし始めたりする。本当は異性に興味あるけど⋯妙な意地から本音と建前の使い分けを始める。小学生3~4年あたりから見られる行動だ。中には快活明朗なエロ男児や虚構の恋愛観で男子同級生を見下すおませな女児も現れるが⋯ここまでは幼児性欲の発展形に過ぎない。
性格形成のプロセス
乳離れは早過ぎても遅過ぎてもダメだ。愛情不足で不安気質な性格をした子に成長したり、甘えん坊の依存気質な性格の子に成長するかもしれない。これが口唇期と呼ばれる育児プロセスになるが⋯次の肛門期、おむつ離れも同じだ。我慢させ過ぎて自己主張のできない子に育ったり、頑固な性格をした子に育つ恐れがある。トイレトレーニングなどを通じて、時と場所をわきまえさせたり、状況に応じて我慢することの大切さをしっかり教えないと、高確率でわがままな子に育つだろう。育児のさじ加減は本当に難しいと思う。育児に励む女性は本当に尊敬する。しかし、親も人間である以上完璧には行かない。それよる弊害と言ったら失礼かもしれないが、思春期で子供が自ら自覚することで修正に努める他ない。程度の差こそあれ、親に対する不満、葛藤も性格形成の大きな課題となる。
性格は排泄器官と生殖器官で形作られる
肛門期を経て自制や忍耐を学び、排泄が一人で上手にできるようになると⋯自信や自負と言った感情も自然と芽生えてきます。それが排泄器官と同じ筋肉、骨盤底筋で繫がっている性器と結び付き、本格的な性格形成が始まります。故に性器は人格の原点と言え、一人前の大人へ成長するために必要となる強い自我、自立心が醸成される器官になります。同時に男女の体の違いも初めて実感するようになり、自覚した性差に基づく様々な葛藤を通じて、自分自身が何者であるかを知り⋯いわゆる「物心」がついて行きます。これが男根期と呼ばれる時期です。程なくして、性の恥じらいを覚え、団体生活や社会への適応力の基礎を養っていく潜伏期に入ります。子供の学力や体力を養うには最適な時期ですね。そして、第二次性徴による体の変化に驚きつつ思春期を迎えます。
性格的な長所と短所の形成
第二の脳として比喩されることの多い器官として「腸」が挙げられますが⋯医者でもない自分がこんなことを言うのは不適切かもしれませんが、精神面から見たら排泄器官や生殖器官がその役目を担っていると言えるのかもしれません。例えば⋯肛門が理性や自制心を司る前頭前野、性器が本能や情動を司る視床下部に相当するのかもしれません。人は第二次性徴に直面すると、潜伏期と言う蛹の期間から羽化すように⋯幼児性欲から脱皮して性器性欲に目覚めます。ただし、この世に完璧な人間なんて一人もいやしません。どんな人にも長所と短所があります。長所は幼児性欲から性器性欲への転換に成功した部分であり、短所は幼児性欲の名残と言えるのかもしれません。もちろん、遺伝的要素もありますし、肉体面から見た長短(例:走るのが速い)はまた別の話になります。
思春期の試練
以上、おさらいまで⋯フロイトの心理性的発達理論に基づく、人間の性格形成過程を説いてみた。性欲の変質もさることながら、恋愛感情のあり方も大きく変わる。セックスを知らない思春期以前の子の異性に対する恋心は純粋だが、思春期以降は本当に悩ましいものとなる。とりま、適切なオナニー管理術やこのエログの主要課題となるタルパ性錬成術を覚え、性の悩みを克服して勉学やスポーツに集中できるようになると良いだろう。変な罪悪感を持つと無駄な葛藤が増えるだけだ。葛藤は精神的成長を促すものだが、それが過ぎると強迫観念的となり害悪と化す。誰に迷惑をかける訳でもない。タルパに関心を持ちタルパを作り出したいなら、性的な交流の図れるものを作れ。それでは本題、確信とも言うべき話に触れて行こう。タルパ界隈で散見した問題行動を例に解説したい。
学芸会の人形劇を彷彿とさせる世界
現在は平穏な世界と化しているが⋯それ以前のタルパ界隈は誹謗中傷と罵詈雑言の絶えない荒れた世界だった。年がら年中、炎上騒ぎを起こしており、オカルト他界隈民からも嫌悪され続けて来た。各自が主観で感じているものを正しいと信じて譲らず言い争う⋯それはまるでバベルの塔の逸話を彷彿とさせる。相互理解を深め、各自の心象を最大公約数的に議論して行けば⋯タルパの真実に辿り着けたはずである。まず、歴史(バベルの塔の教訓)を謙虚に学ばない姿勢は恥じるべきだろう。いつまでも未練がましく⋯個人的な失敗と挫折の経験だけで学び続けるな。そんな説教じみた話はともかく、所持者本人と直接対話できたのはわずか数人に過ぎなかった。DMをするにしてもタルパを介する形でないとコンタクトは不可能だった。これには本当に不可思議な思いにさせられた。
普通の「なりきり」との違い
パソコンやスマホを操作しているのはタルパではなく⋯まぎれもなく本人だ。一体、どういう理屈でやっているのか謎だった。DMで他ルパとやり取りするのは何とも奇妙なものに覚えた。電子機器で憑依や自動筆記なんて聞いたことがないし、仮にそうだとしても強い変性意識状態にあるはずだから、電車やバスなどの公共交通機関の利用中、学校や会社の昼休み中に気軽に実践できるものでもない。明らかに「なりきり」である。しかし⋯それを指摘すると強い反発が巻き起こる。なりきりではない⋯タルパの存在を否定するな⋯そう憤るのだ。まぁ、結論を述べると⋯普通のエンターテインメントとしてのなりきりとの違いは、代理の心理を働かせているからだと思う。それを崩されたら自分自身の存在意義が否定されることとなるで、必死でタルパの存在を否定するなと誤魔化す。
代理と投影の温床と化すエア友達
代理の心理とは⋯本来的には他者の行動に対する共感(代理感情)や模倣(代理強化)であるが、ここで言う代理とは⋯面と向かって言いづらいことを代わりに伝えてくれたり、聞きたくないことを代わりに聞いて受け止めてくれる⋯そんな身代わり的な存在を意識しながら、他者とのコミュニケーションを試みようとする防御的な心理となる。これ自体悪いものではない。厳しい現実を生き抜くためのメンタルハックと言える。その場合、身代り的な存在は理想としている自分自身であり秘匿すべき心象となる。いずれそれに向かって成長もして行けるだろう。しかし、タルパと称して公開してしまっているから悪作用しか働かなくなる。完全な依存関係となるから成長が促されない。しかも、自分自身ではなく下手に思い入れを注ぐ存在となるため投影の心理も働きやすくなる。
自分の問題を自己紹介
投影の心理とは⋯自分の問題を他人事のように語ることで、自己正当化したり自尊心を保とうとする防御的な心理です。通常は人間同士で起きるシニカルな心理現象で一過的な優越感を覚えるに留まります。自分の中で矛盾を抱えることになるので⋯やがて、不安感が増大して身の破滅を招くだけです。ただの虚勢、現実逃避ですからね。一方、タルパと称する存在に自分の都合の悪い問題を押し付けて、されにそれをタルパに代弁(代理の心理)させることで、問題を持続的に分離化させることができ、自分が強く生まれ変わったように錯覚できます。虚構の存在を介する形だけあれ⋯時にファンネル化して攻撃性が増します。しかし、多くの場合、無意識にご自身が抱えている問題を自己紹介してしまっているだけです。分離しているつもりの安心感から心の闇を吐露してしまっています。
タルパで無自覚に自己紹介してしまっている人たち
オカルトの世界の一角、タルパ界隈で一時猛威を振るったフェミニズム、惚気アンチも⋯自ら恋愛弱者であることを自己紹介していたようなものです。この件に限らず⋯SNSなどを通じてタルパに何かを言わせている人は要注意。そうしたタルパをじっくり観察していれば、所持者の弱点やトラウマ⋯まぁ、だいたいの生い立ちまで見えてきます。ネット上におけるタル活は⋯タルパはあまり前面に出さず、タルパとの交流だけを日記のように描いて行くやり方が健全だと言えます。本物のタルパーはタルパと向き合うものです。すべてのケースを否定するつもりはありませんが、憑依のような真似事はいろいろな誤解も招きやすくなるので慎むべきだと考えます。それか代筆と明言すべきでしょう。とりあえず、惚気アンチを例にフロイト的な解釈をしてみたいと思います。
タルパ界隈の問題児は性認識に基づく自我の発達に支障を与えた人
タルパとの恋愛や性的交流に意義を唱える謎な人たちがいます。こんなもの個人の勝手だろう。嫌なら見なければいい。まず、こうした他人の内心に強く干渉しようとして来る人は、自他境界の確立に失敗した人だと言えます。口唇期での不適切な授乳期間と肛門期での排泄トレーニングの失敗により、男根期で自信や自負の心が芽生えず、性認識に基づく自我の発達に支障を与えた人だと思われます。性差による人間関係が感覚的に理解できない上、自我の構造化(エゴとスーパーエゴ)が弱いまま育ったものと思われます。潜伏期に相当する小学生時代は⋯きっと、クラスで浮いた存在と化していたか、極端に物静かで目立たない子だったと思われます。いずれにしても、異性に対する葛藤のような境地を経験することもないので、第二次性徴以降の恋愛は難しくなります。
遠因は男根期での性器に対する誤認識
前段の内容をわかりやすく説明し直すと⋯口唇期での愛情過不足や肛門期での自制心確立の失敗により、これから本格的な人格を築き上げていくスタート地点となる男根期で、正常な自我の発達を促す促進剤とも言うべき自信、自負のような心理が芽生えず、それに伴い性器に対する感覚も希薄となり⋯女の子ともなれば、この時点で男性器は男性に対する嫌悪感や不信感の象徴として意識に擦り込まれ兼ねない。以降、思春期まで強い違和感の払拭できない子供時代を過ごすことになるだろう。周囲の子と比べいろいろな面で遅れ、高い年齢になっても⋯おねしょもしていた可能性はある。実際、夜尿症は劣等感や自信喪失などの不安心理が根本原因とも言われている。おねしょ以外にも様々な発育上の問題を抱えただろう。これらネガティブな心因は男根期と深く関係して来る。
自分で自分を裏切ることはできない
何よりも自分と言う殻を良い意味で持つことができず自他境界が曖昧となる。自分の主観を誰もが持っているものと信じて自分本位でわがままな性格に育ちやすくなる。本来、自分は自分、他人は他人と言う感覚は「物心」が付く男根期で培われ始めるのだが⋯結果的に裏切られたような思いをする体験を繰り返し⋯対人面で不満や不信を募らせ、正常な人間関係を構築する方法が学べなくなるのだろう。加えて⋯私に対して攻撃的であった惚気アンチのメンヘラ女性は、男根期以降の親の教育方針に問題性があり、親からの過剰な期待に応えきれず、責任転嫁できる代理的な存在を無自覚に作り上げ自己防御していた可能性もある。タルパなのか人格なのかは不明だが⋯実際、そうした代弁的な存在を「裏切り者」ともよく言ってもいた。自分の問題を投影、代理させていただけに過ぎない。
本当は自分で汚したり壊したのに、発見者を装い掃除したり直すことで、親や先生から褒められたり⋯本当は自分が友達の物を隠したのに、一緒に探してあげて見つけた振りをして、人気を集めようとするなど⋯良い子を演じていた可能性もあります。
幼児性欲から脱皮できないダメな大人へ
口唇期と肛門期での不適切な育児が原因で、男根期に固着した性格が形成され始め、潜伏期での発育上の問題に苛立ちを覚えた親によるこれまた不適切な躾けや教育方針により⋯きっと、周囲の人の期待を裏切るダメな子の烙印でも押されたのだろう。ただ、程度の差もある。この世に完璧な人間⋯親になれる人なんか一人もいない。人間は不完全な存在だ。今ここで書き述べている内容は典型例でもある。しかし、それが極端なものとなれば幼児性欲から脱皮できないダメな大人へ成長して行く。最後の希望は思春期での矯正となるが⋯良き同級生や友人に恵まれないとそれは叶わない。口唇期や肛門期に固着した性格の場合、比較的、矯正は容易で普通の大人へ成長して行けると思う。しかし、男根期の場合、難しいものと思われる。性認識が絡むだけまともな恋愛もできなくなるだろう。
タルパとの惚気を否定する者は人間に対する恋愛感情も持てない者
同年代の子は恋愛をして中には早々に初体験を済ませている状況⋯ひとりだけ置いてけぼりにされている境遇は性格の歪みに拍車をかける。精神疾患でも理由にしないと我を保つことができないだろう。自称DIDもこれだろうなと思う。自他境界があいまいな者は⋯自分の中でも心の整理がつかないでいるものだ。気分の偏在で極端化した性格や気質を⋯タルパやイマジナリーフレンド、人格などと呼ぶ。多重人格や憑依にあこがれ心を抱く中二病、メンヘラの爆誕だ。こうした者たちがタルパ界隈を荒らし回っていたのだ(一部で科学派タルパーを自称)。タルパで楽しそうに活動している者に対する嫉妬心も半端ない。自分たちはこんなに苦しいのに⋯タルパはそんな都合のいい存在じゃない!タルパを道具のように扱うな!目的を持つな!とも主張し始める。惚気なんてもっての他。
シュレーディンガーの猫の逸話を思い出せ
タルパ作りにおいて目的を持つことは重要だ。タルパは願望成就と自己実現のために実践するものだ。しかし、子供時代にトラウマを抱えたものは⋯自分に課せられた期待、精神的な重荷をイメージさせるもので否定的となる。そして、タルパと称する存在に投影と代理の心理を働かせ、憑依と称した「なりきり」で⋯タルパの存在を否定するな!と主張したりもする。本物のタルパーならタルパの存在性を疑うところから始め、どのように確信が得られるようになるか模索して行くものだ。不可視の存在⋯それは見えないけど存在している、存在していないけど見える⋯タルパは存在しない存在だ。そのような不可思議な二重定理、矛盾の上で成立する量子力学的な存在となる。イマジナリーフレンドを除き⋯本当に最初からいきなり見えたり聞こえたり感じたら⋯そりゃ病気だ病院へ行け。
病理とタルパは分けて考えて欲しい
これは何度も伝えていることですが⋯精神疾患にある人でもタルパは作って構いません。病理とタルパをきちんと分けて考えることのできる人なら問題ありません。不安な場合、医師に箱庭療法やEBをやっても問題ないか伝え、問題ないと言われたら大丈夫です。一方、心療内科に行く勇気がないのか⋯自分は普通の病人とは違うとでも言いたのか⋯まぁ、一体何なのか知りませんが、自称DIDのような医師の診断によらないものが多過ぎです。また、代理と投影の心理でタルパを実践している者は⋯高い確立で何らかの人格障害にある方です。人格障害は自覚できないだけであり始末が悪い。多くは演技性人格障害や依存性人格障害だろう。ミュンヒハウゼン症候群に近いものにも感じられる。そうした病理とタルパを混同している困った人たちがダメなんだと思います。
タルパーなら心理学を学べ
魔術や催眠術など⋯オカルト的な根拠や心理学的な裏付けのない憑依、タルパと称する存在で何を延々を主張させている者は似非である。投影や代理などのネガティブな心理を働かせているタルパはタルパではない。タルパの言動をよく観察して見ればそんなもの一目瞭然だ。大学の一般教養課程で興味本位で取った心理学の知識レベルでもそれを見抜くは容易い。上述した通り⋯分離している安心から油断して、ついうっかり自分の弱みを無自覚に吐露してしまっているケースすらある。ああ、これがこいつの本質なのかと⋯細い目になってほくそ笑むように見てる。ちゃんとタルパと向き合おうな。一つの独立した意思を持つ存在だ。自分とは違う存在だ。自他境界はっきりさせような。匿名掲示板で喚き散らしたりクレメンスばかりで自分では何もしようとしないヤツもタルパーじゃない。
タルパで性器性欲を補完して一人前の大人になれ
別にタルパとセックスしろとは言いません。タルパ性錬成術は⋯あくまでも、効率性の高いタルパの作り方、アゲマンセックスが再現できる開運法に過ぎません。また、個人的な性体験に基づく考察であり、すべて持論に過ぎません。別に友人属性や兄弟姉妹属性でも性器性欲を補完させることはできます。察しの良い方なら上述した、良き同級生や友人に恵まれていないと⋯で、はっとさせられたと思います。他の考察でも書き述べたことですが、タルパ作り⋯特に自動化実現のプロセスは、フロイトの心理性的発達理論の各育児過程を追認させるものでもあります。良き友人のタルパ、良き兄弟姉妹のタルパを持つことで、性器性欲は補完され一人前の大人へ成長して行けます。時にタルパから厳しいことを言われるかもしれません。受け止めて自省しましょう。
性器性欲は肉体的な変化、第二次性徴で体感的に体得して行くものでもありません。環境や人間関係から学び、精神的に未熟な部分(幼児性欲の名残)を矯正することで育むことはできます。性で格を成すのが性格であり、性欲は人格形成の基礎です。