公共空間における性的表現

前回に続き、性的表現の本質について考えてみたい。尚、ここで言う性的表現とは⋯広い意味としてのものを指し、自然な男らしさや女らしさ、当たり前のように感じられる男女それぞれの身体的特徴に関する表現について考察する。刺激の強い性表現は論外とする。本稿ではゾーニングされていない公共空間におけるものを前提とするからだ。広告媒体などを中心に⋯度々、問題視され物議を醸す機微な話題になると思う。では、どのような性的表現がどの程度まで許されるのか⋯それを考察してみたい。尚、これまで幾度となく述べている通り、私は反フェミニズムに固執している者でも、伝統保守に傾倒している者でもない。個人的にはリベラルに近い立場だと思っている。こうした記事を執筆するのも、表現の自由と内心の自由を守りたい⋯その思いからに過ぎない。
誰もが心に認めている大切な思い
内心の自由と言うと⋯思想信条、政治や宗教に関する問題をイメージすると思う。しかし、近代民主国家におけるこの常識的な理念は、人間の持ち得るすべて思考や感情が対象であり、各自の性認識や性的趣向と言ったプライバシーまで及ぶ。恋愛感情や性愛に対する憧れ心は、誰もが心に認めている大切な思いだ⋯また、思考や感情そのものだけに限定されない。自分らしさを実感、自分が自分であるためにも、おしゃれをしたり化粧をしたりと⋯自身の性認識、性的趣向に基づく行動、意思表示をしたくなるのも自然だ。漲る性欲は創造力や生産性を掻き立てる⋯当然、これに表現の自由も深く関係して来る。極端が過ぎたり直情的な性的表現の規制論は、人々の内心に大きな悪影響を及ぼし、社会から活力を奪い兼ねないものと危惧する。若者の恋愛離れや少子化の遠因すらなると思う。
もしも、人類から性欲が消失したら⋯
性欲は人間の三大欲求の一つとして知られるが⋯自慰行為やセックスの問題に限られない。性欲は人間のあらゆる行動原理、心理現象を潜在意識レベルで司る源であり、フロイト心理学でも説かれている通り、人間の性格形成に大きな影響を与えている。もしも、この世のすべての人から性欲を奪い去ったら⋯争いは減り平穏な社会になることだろう。悪意は性欲の歪みが根本原因だから犯罪もなくなるかもしれない。理想的な未来社会の到来を思わせる。しかし、人間が理性的な存在に変わる訳ではない。本能を放棄するような状態に近くなり、個性的な感情も希薄化して、人々から生きる意欲まで失わせるだろう。適度な競争意識も生まれず経済は停滞⋯当然、恋愛感情も起こり得ないので少子化は極度に進み⋯たちまち、人類は種としての存在すら危うい状態まで追い込まれるだろう。
人間の本質は性欲にある
セックスができなくても死ぬことはない。事情のある人もいるだろう⋯恋愛や結婚に否定的な人も性欲を別の形に変えて発散させているものだ。しかし、多くの場合⋯あまり好ましくない行為に肩代わりさせているようだ。ネット誹謗中傷する者はさぞ気持ち良い心境だろうな。自慰行為やセックスのオーガズムで感じられる快感をそれで肩代わりさせているようなものだから⋯金持ちケンカせずは真理。実際、そう言う馬鹿なことをする者は、恋愛やセックスと無縁そうな社会的弱者と相場が決まっている。どんなに意地を張ったところで、世の圧倒的大多数の人が恋愛とセックスを経験するのが現実⋯所詮、社会からつまはじきされた者の卑屈な行為に過ぎない。人は性欲を適性な形で発散させないと⋯もっともらしい言い訳を建前に、こうした問題行動を起こしやすくなる。
指摘する必要性のない潜在意識
性欲は性格の源泉であり、性格は行動そのものだ。大人しい人や目立たない人は⋯決して、弱い人でも意志薄弱な人でもない。慎重な姿勢で物事を俯瞰、本質の見抜ける鋭い観察眼の持ち主であることが多い⋯だから、侮らないことだ。一方、多弁は自己紹介しているようなものだ。昔から言うだろう。沈黙は金、言わぬが花⋯これは性欲を完璧にコントロールできる者に相応しい格言と言えるだろう。言動ひとつ取って見ても、その人自身の性欲に対する向き合い方がよくわかる。攻撃的な人は本当に性欲を持て余しているものだ。過剰とも言うべき性的表現規制論を唱えるような者は⋯わざわざ、指摘する必要性のない潜在意識レベルのものまで穿り返している訳だから⋯性欲のコントロールができず、衝動的に本音や自分自身の性癖を吐露しているようにしか思えない。
ギャングエイジという冒険期でエロを語り合う
男根期から潜伏期までは⋯性差を意識した団体行動により社会性の初歩、基本を身に付けて行く大切な時期だ。特に同性グループでの行動が顕著となる。児童心理学ではギャングエイジと定義されているものだ。この時期にどの同性グループとも打ち解けられず、単独行動することが多かった人は⋯まぁ、持論とはなるが、羞恥心に対する耐性が十分に養われず、この後に迎えるであろう第二次性徴期、思春期で「性」に対する嫌悪感や罪悪感、不安感や不信感を募らせて行くのではないかと思う。小学校高学年ともなれば⋯同性の仲間同士で「お前、〇〇のことが好きなんだろ」とはやし立て合うものだ。友達の父親が隠し持っていたエロ本を⋯クラスの男子児童らと一緒に見て、大人の世界はこうなんだ!!と衝撃を受けていたあの遠い日々が懐かしいわ。女子だってそうだと思う。
小さな性の葛藤体験
もちろん、羞恥心に鈍感になり過ぎてもいけない。しかし、過敏になり過ぎると、日常生活の様々な場面で心理的バイアスが生じやすくなる。特に潜伏期に固着、起因したものともなれば、思春期以降に過ごさなければならない大人社会は息苦しいものになるだろう。世の人の半分は異性になる訳だから⋯潜伏期は性欲が表面化しない時期と定義されているが、大人のような性的興奮をしないだけで、異性や性的なものに対する好奇心は十分にある。生殖器官は未発達であるため口唇期的な幼児性欲をくすぐられることに興奮するのだろう。性差による恥じらいを覚え始め、社会性の基本を身に付けて行く過程の裏で、ギャングエイジにみるような⋯小さな性の葛藤体験もないと、潜在意識レベルの性欲は小学生のまま鍛えられず、口に出さなくてもいいことを吐露するようになるのだろう。
未熟な性欲を持つ大人たち
思春期を過ぎれば⋯各自の性認識、目覚めた性器性欲に基づく行動を取りたい意欲に駆られ始める。しかし、潜伏期までに同年代、同性を中心軸とした集団生活、団体行動で鍛え、安定化させた潜在意識レベルの性欲(の裏返しとして社会性)で、性に関する軽はずみな言動は取らなくなると思う。ぶっちゃけ、痴漢行為をする者と、性に過剰反応してヒステリーを起こすような者は⋯未熟な性欲を持っている点では同じである。まともな大人が異性を見ただけで興奮することはないし、自然な男性らしさや女性らしさの表象に対して怒ることはない。女性は胸が膨らんでいるのは当たり前だ。ちょっとくらいのエロ要素は受け流すことはできる。それができないのは子供だ。しかし、そのちょっとくらいが⋯昨今でしばしば物議を醸すことになっている。随分と免疫力が低下したものだ。
これからの時代にあるべき性的表現
昨今の「性」に関する物議は、幼児性欲から脱皮し切れていない⋯精神的に幼い大人たちが炎上させているだけに過ぎない。見ていて本当に子供みたいに思う言動の数々だ。ただ、情報を発信する側も今後は弁えなければいけない点になるだろう。ぶっちゃけ、赤いきつねアニメCMは潜在的なエロさに溢れていると思う。しかし、普通はそんなこと口にしない。でも、わざわざ口に出して騒ぐ小学生みたいな大人がいる以上、一考を講じなければいけない敏感な時代だと言える。昭和は普通に全裸の女性が地上波CMに登場していたが⋯未熟な性欲を持つ者が激増した現代社会に考慮した性的表現への転換である。自分らしさへ昇華させたい、成長意欲に駆られる性的表現だ。例えば⋯女性が女性の少しくらいセクシーなイラストを見ても、自分もこうありたいと直感、共感できるものだ。
可愛いは正義(潜伏期)からの脱皮
これまで似非フェミニストらの標的にされていた女性キャラクターは⋯ぶりっこ要素の強いキャラクターであったり、男性キャラクターに囲まれている紅一点型のキャラクターだ。こんなことは言いたくないが⋯まぁ、本質的には嫉妬に他ならず、女性差別云々は建前に過ぎない。実際、男性ウケの良い女性は同性から嫌われやすい傾向にある⋯今後、この手の七面倒くさい問題に巻き込まれないためにも、そうした要素を排除した性的表現に努めるしかないだろう。赤いきつねアニメCMもなよなよしたか弱い女性でなく、草薙素子やレヴィあたりが胡坐かいた状態で麺を豪快に啜っていれば⋯胸の谷間を見せた状態でもスルーされていたかもしれない⋯は、冗談であるが、萌え系や可愛いは正義は、潜伏期の固着した性格の持ち主を不安にさせるのでやめた方が良いかもしれない。
一人前のカッコいい大人はどうあるべきかを示すこと
女性の嫉妬心を煽り、男性の独占欲を誘う性的表現から⋯女性の共感を誘い、男性に自覚を促す性的表現へ変えて行くべきだろう。直球ストライクな性欲を想起させるものから、広い意味で大人な性認識ができて、自分らしさの見本となるような表象なら⋯少しくらいセクシーでも問題はなくなると思う。また、子供の目に触れるような場所でも、一人前のカッコいい大人はどうあるべきかを示すことのできるものなら差し支えないと思う。いい年した大人が性でヒステリーを起こして子供を不安にさせる方が害悪だ。上述したギャングエイジにも見るよう、子供の世界には子供なりの解決法がある。昭和の古い魔法少女アニメのオープニングソングではないが、女性の胸はなんでもできる証拠、男性をけん制する強さと自信の証として⋯同性親が子供に諭すよう教えるべきだ。