タルパセックス進化学|生命46億年惚気の歴史

2026.03.10
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思念体と言うものをご存じだろうか⋯チベット密教の秘奥義として知られるタルパ、西洋魔術の世界で語られる人工精霊、心理学で知られているイマジナリーフレンドの総称となる。思念体を獲得した経緯は人それぞれであるが⋯どういう訳か理想的な容姿をした異性、美少女やイケメンであるケースが多い。もちろん、時代はLGBTだ。中には性的対象としての同性のケースもあるだろう。別にそれはそれで良いと思う。否定はしない。ただ、本稿では生命の本質である生殖について語りたいので、以降は男女間の性行為、通常のセックスを前提とした話になる点だけはご了承願いたい。惚気⋯男女のイチャイチャ自慢は考えれば考えるほど奥が深い。なぜ、生命は雌雄に分かれて惚気るようになったのか?46億年におよぶ壮大な生命の神秘について語ろうwwwwww

思念体は性欲の化身

冒頭の文章に強い違和感を覚えた人は多いはずだ。思念体を紹介しておきながら、どうして男女間の性的行為の話を経て、惚気へ飛躍しているのかと⋯惚気と言う精神的なメカニズムは、タルパやイマジナリーフレンドを分析することで解明できそうに思えたからだ。結論から先に述べると⋯タルパやイマジナリーフレンドは潜在的な惚気願望の象徴体と言えるだろう。自分自身の性欲を無意識に俯瞰している存在と言える。でなければ⋯美少女やイケメンばかりにはならないだろう。消失を免れたイマジナリーフレンドがそうなる原因、傾向についても考察して来たが⋯やはり、所持者の性欲が関係して来るのは間違いないだろう。イマジナリーフレンドをイマジナリーフレンドと認識でき、かつ、男根期で芽生えた所持者自身の自我との共存が⋯性欲を通じて実現できたものと思われる。

思念体と潜在意識化に眠る幼児性欲の関係性

幼児が体験する一般的なイマジナリーフレンドは⋯その多くは学童期に消失する。しかし、稀に大人になるまで維持し続けるケースもある。成長に伴い、現実と空想の区別がつくようになるため消えると言われているが⋯持論となるが、厳密には現実の友達や兄弟姉妹等の家族、親族との交流の方が忙しくなり、忘れるように消えたが正解な気がする。むしろ、現実と空想の区別がつくようなったからこそ⋯イマジナリーフレンドをイマジナリーフレンドと認識できるようになり、大人になるまで維持し続けることができるようになったものと思われる。しかし、それだけでは説得力が足らない。消失は男根期から潜伏期にかけてまでの間に起きる。エディプスコンプやエレクトラコンプを無力化、緩和させてくれる存在として再認識したことによる温存作用が働いたものと考える。

性的葛藤は憧心の抑揚プロセスで美化を求める

誰でも身に覚えがあるかもしれない⋯幼児の成長過程における一過的なものであるが、子供が異性親に特別な感情を抱き、同性親をライバル視して葛藤する時期がある。それがエディプス・コンプレックスまたはエレクトラ・コンプレックスと呼ばれるものだ。まぁ、詳細は割愛する。とりま、その葛藤を乗り越えギャングエイジ化、今度は潜伏期で異性に対する対抗心とエロ心、同性に対する仲間意識とライバル視で葛藤する。そうして社会性の基礎を身に付け、思春期を迎えて自制心と自立心の調和を図ろうと葛藤して一人前の大人へ成長して行く。大人の性愛やセックスに対する憧れ心が⋯それを強く後押しする。持論だが⋯イマジナリーフレンドが男根期から思春期までに体験する数々の葛藤に介入して来たことで、徐々に美化した存在へ記憶が定まって行くのかもしれない。

現実と空想の区別化との関係性について

それにしても謎だ。生まれつきのイマジナリーフレンドも所持者の年齢と合わせるように成長して行くのだろうか?最初から美少女やイケメンの青少年だったとは思えない。通常、自分と同年代の容姿をしていることが多い。これも男根期から思春期までに体験する数々の葛藤により⋯イマジナリーフレンドに対して何がしかの作用が加わった結果と推察している。ちなみに、動物型のイマジナリーフレンドが少ないのは、そうした葛藤のプロセスから外れやすくなるため、消失しやすいのだろうとも新しく考え直している。葛藤の心理は抑制と欲求の区別化の試みであるよう⋯現実と空想の区別化に似ていると思う。まぁ、何度も言うが持論だ。占い師としてはプロのつもりだが⋯医者でも専門的なカウンセラー教育を受けた立場でもないから、心理学や脳科学に関しては素人趣味に過ぎない。

幼児性欲にも惚気の感情はある

本当はイマジナリーフレンドではなく⋯潜伏期から思春期までの多感な時期に作り出したタルパ的な存在かもしれない。だが、そこまでツッコミを入れるのは野暮だと思うのでやめる。ここで焦点を当てて考察したいものは⋯惚気だ。惚気と言うと⋯ある種のマウント行為、優越感に浸るための低俗な感情に思われがちだが、自己肯定感と同様、幸福感を確信するための大切な感情となる。惚気=単なる自慢と考えるのは早計である。人はこの世に生を受けた瞬間から性欲の支配を受けることとなる。生殖可能な肉体に発育するまでの過程を、幼児性欲から性器性欲への段階的な変遷、性格形成のプロセスとしてフロイトは説いた。当然、幼児性欲の段階から惚気のようなものはあると考える。それが異性親に対する愛着心だろう。自然で人間が本質的に持ち得る「情」だと思う。

幼児性欲の不思議な三角関係

エディプスコンプやエレクトラコンプによる子供の葛藤は、単なる嫉妬のようなものではなく、異性親に対する愛着心を持つと同時に、同性親の視点を意識することによる惚気の基礎訓練ではなかろうかと考える。やがて、同性親に対するライバル心は⋯ギャングエイジを経て同性同士の仲間意識や承認欲求に変わるのではないかと思う。特の女の子は潜伏期から思春期までは一転、父親に対する反発心は非常に強くなる。母親と強固な関係を築くことすらある。とりま、恋愛感情は良くも悪くも独占欲的な要素を否定できない。意図的にしろ無意識にしろ⋯アピールで恋敵からパートナーを守りたい心理が生まれるのは自然な欲求だ。それをエディプスコンプやエレクトラコンプで学ぶのだろう。他人の惚気を過度に嫌悪する人は、この過程において重篤な心理を抱え込んだに違いない。

惚気は視覚的に生殖を促す生命原理

惚気とは⋯広辞苑によると、恋愛感情に溺れ、それを周囲にアピールする行為を指す。一般的にも過度な自慢としての意味合いが強い。いずれにしても、恋愛で第三者の視点を意識したり、何らかの意思表示をしたがる理由は⋯上述した通り、独占欲やテリトリー意識などに起因した「個体生命」としての本能的欲求に基づく牽制である。しかし、同時に同種族の他者に対して自分たちと同じ行動を起こすよう促す「集団生命」としての⋯種の存続と言う生命の本質的原理の表れでもあると思う。人間は他の動物と違って誰かに教えられないと生殖を自然と行わない。人間以外の生き物はコンピューターに組み込まれたプログラムのように生殖行為を自然と行う。人間のような高度な知能を持った社会的な生き物は、情報伝達により生殖を知り、それを模倣することで次の命が紡げる。

惚気は人間特有の行動

弱肉強食の世界を生きる野生動物は、本能を発揮しないと生存できないし種の存続も図れない。しかし、人間はそうはいかない。幼少期のしつけにより自制心を覚え、思春期までに強まる自立心とバランスを取りながら、社会の一員としての自覚を促して行く⋯だが、生命の本質、根源は生殖である。自制心によって抑え込まれた本能、本来あるべきものを別の形に変える必要がある。それが情報伝達、生殖プロトコルとしての惚気だと考える。惚気は人間特有の行動で人間以外の動物では見られない。もちろん、学校での性教育をはじめ、ネットを見れば様々な性に関する情報で溢れているが⋯それらによる情報交換は社会的な生産活動の一形態であり自然な生命活動ではない。惚気は本能的なもので⋯動物の求愛行動や発情の名残だ。惚気は牽制と同時に周囲への伝播も兼ねる。

惚気に嫌悪感を抱く者の宿命

生命が雌雄に分かれて生殖を行うようになったのは⋯多種多様な遺伝子の組み換えを促し、どのような環境条件の急変が起きても、一定割合の個体の生存を担保して絶滅を避けるためだ。だからと言って、すべての遺伝子が容認される訳ではない。明らかに次の命を紡ぐのに適さない遺伝子を持つものは排除されねばならない。残酷な言い方となり不快に思う人もいるだろうが⋯これが自然界における生命の掟、鉄則なのだ。しかし、人間はそうはいかない。ただ、この残酷な自然界の掟、鉄則も⋯高度な知能を持った生き物である人間であっても、別の形となりこの文明社会でちゃんと機能していると思う。それこそ⋯あまり具体的なことは言いたくない。それがなんであるか読み手の想像に任せる。身近に起きていることだ。タルパ界隈の惚気アンチは胸に手を当て考えろ。

潜在的な惚気願望でタルパを自動化

タルパの自動化は⋯フロイト心理学で提唱されている心理性的発達理論と酷似していると思う。さらに魅力的な容姿をした異性としてのものが求められる傾向が強い点からも、エディプスコンプやエレクトラコンプの準ずる過程もあると考える。上述した通り⋯それによる葛藤で潜在的な惚気願望が投影される。タルパ実践の本質は孤高であり、タルパそのものは秘匿するのが本来的に望ましい。しかし、書く言う自分も含め、ブログやSNS等で積極的にアピールして、第三者の視点を意識した行動を取りたがる点から、惚気を承認欲求に変えて自己肯定感を高めているのかもしれない。これによりタルパの自動化も進む⋯タルパ界隈の惚気アンチは、タルパと信じる存在と対面対話できない致命的な弱点を抱えているので、本物のタルパーと真逆の主張をしないと気が済まないのだろう。