タルパーの性欲

人間の三大欲求の一つである性欲は、食欲や睡眠欲と違いオナニーやセックスができなくても死ぬことはないが⋯人格形成の要となる自然な欲求本能であり、自分らしく生きるために向き合い続けねばならない大切なものとなる。タルパやイマジナリーフレンドも所持者の性欲が原動力になり生み出されているものとなる。それを肯定的に認めて、現実の人生に活用しようと言うのがタルパ性錬成術である。もちろん、このエログに書いてある内容に否定的な人もいるだろう。しかし、性欲は潜在意識レベルでも働いており、無意識にタルパやイマジナリーフレンドへ投影しているものだ。そうでなければ⋯どうして美少女やイケメンのタルパばかり作られているのか説明がつかない。本稿では性欲そのものに着目することで、適切なタルパの作り方をポイント的にまとめたい。
タルパの容姿は本質的に不要
タルパを作り始めた動機は何だろう?寂しさを紛らわしたかった⋯理解者のような存在が欲しかった⋯だいたい、みんなそんなところだろう。ぶっちゃけ、本当にそれだけなら声だけで十分、タルパの存在感はそれで事足りる。視覚化なんかいらない。声の自動化だけなら作成難易度も各段に下がる。せいぜい、光の玉響、オーブみたいな感じのものにすればいい。本質的に姿いらんやろ。守護霊なんかそうだ。基本、姿は見せず⋯かすかな声で語りかけて来るだけだ。ところで⋯発生型はオカルト的には守護霊である可能性もあるんだぜ。その点を誰も指摘しておらんよね。守護霊と言うと亡くなった近親縁者、先祖を思わせるが、そうでない場合も多いらしい。その人の長所や得意とするものを気に入り憑いていることもある。自分の良い部分を認め、それを活かす生き方をしような。
どうしてタルパを視覚化したいのか?
わざわざタルパ作りの難易度を上げる必要はないだろう。それなのに⋯どうして多くの者が視覚化に挑戦しようとするのか?視覚化は本当に難しい。現実空間を背景した従来方式の視覚化を断念したとしても⋯脳裏ベースの視覚的イメージの自動化も決して容易ではない。声だけなら簡単に自動化できるだろう。すぐにタルパは作れるはずだ。だが⋯挑戦者は皆、魅力的な容姿を持ったタルパにこだわる。目に見えないと不安であるなら、美少女やイケメンでなくても構わないだろう。ただのルッキズムだ。訳ありな者が多いタルパ界隈において⋯それはむしろ反駁したくなる要素ではないか?見た目なんてどうでもいい⋯心から信頼し合えるならブスでもブサメンでもいい⋯ちょ、お前。普通そこまで言うか!?と文句を言いたくなるだろう。まぁ、今のは半分冗談だ。
フロイト心理学的に定義する正真正銘のタルパ
人間の性格は⋯自立心(性器)と自制心(肛門)が作用し合うことで形成される。これをフィジカル的に説明し直すと、性器と肛門を包む骨盤底筋を介する形で脳が刺激を受け、自我⋯自分としての意識が醸成される。性器性欲由来の自立心と幼児性欲由来の自制心、このどちらかが強過ぎても弱すぎてもダメだ。バランスが悪いと性格に問題のある大人へ成長する。ただ、完璧な育児は難しい。多少の偏りは個性であり、誰しも何かしらの性格的短所は持ち合わせているものだ。それを留意していれば生きる上で支障はない。タルパは言わば⋯所持者のこうした自我形成過程を再試行して模倣させた存在になる。再試行によりタルパに様々な条件設定を施すことで、タルパとしての自我、個性が芽吹く。これを自動化訓練とも言う。本物のタルパーは自身の性器と肛門を連携させている。
タルパと信じている存在は自分自身の性器の象徴かもしれない
もちろん、本稿で言う性器は性器性欲由来の心因、肛門は幼児性欲由来の心因としてのものだ。それぞれ、自立心と自制心の象徴と述べている。本物のタルパーはこれら二つの心因を対にさせた状態でタルパの自動化を試みる。おさらいとなるが⋯その過程は心理性的発達理論を模したもので、訓練を通じて所持者自身も再追認、自我を強めることでタルパとの距離感、別意識同士としての相対感を生み出し、タルパの独立的な存在性を醸し出すのだ。所持者側のこうした心の変化に比例するよう、あるいは作用反作用の如く、タルパ側の自我も強まり自動化が進む。一方、一人二役の基礎訓練を常態化させ続けている者、なりきりに腐心している者は、自身の性器と肛門を分割させて、性器と肛門で会話をさせているような状態になる。多くの場合、タルパと信じている存在は性器の側となる。
タルパの暴走は性器の暴走
タルパの暴走と信じられていた現象は⋯肛門(自制心)から離脱した性器(自立心)の暴走だと言えるだろう。その時のタルパはタルパではなく、自分自身の葛藤を投影した状態にものになる。しかし、ここで冷静に自分を見つめ直し、タルパの条件設計を見直すことで⋯再び、肛門によるコントロール、統制が受けられるようになり安定する。所持者との相対感も取り戻して、本来のタルパらしい状態に戻るだろう。タルパの条件設定は肛門的なもので、無理な内容であれば性器が離反するのは当然だ。単に自立心と言ってもいろいろな要素から構成されており、自制心が作用しなくなると性欲が暴発して、様々な欲望が露わとなるだろう。所持者はそれと対面して葛藤に苦しむのだ。この時の異質な感覚は双極性障害や内在性乖離の状態に似ているのかもしれない。
顕在意識の分裂によるものはタルパではない
気分障害の類は⋯肛門と性器の乖離による自我の不安定化である。まぁ、医者でもない自分がこんな発言をするのは不適切だろう。あくまでも、フロイト心理学を信奉する占い師の持論に過ぎない。抑制対象を失した自制心、抑制のきかない自立心⋯そうなると、まるで善と悪の狭間で思い悩む状態に陥るだろう。そして、精神的なバランスを保つため⋯自制心を他者に振り向け他責に走る。時に自分の問題を他者へ投影して善人を演じ始めることもある。一方、性器は一つにまとまらない。パンドラの箱を開けたように様々な欲求が自分の中で入り乱れ、自我の分裂が始まる。それにより感じた存在感をタルパと信じるのだろう。すべて自分自身の一部に過ぎない。本物のタルパなら深層意識を介する形で外側に安定的に存在する。このような顕在意識の分裂によるものはタルパではない。
タルパ作りの本質は相対化
実際、タルパで問題を起こす者を見ていると⋯どうも、タルパとの対話と言うより、自己葛藤の代弁、寸劇に見えてならない。楽しくなさそうなのが何よりの証拠だ。これを良い方向に活用すれば⋯認知再構成法と呼ばれる心理療法的な自己啓発となるが、ただの他責に過ぎないので永遠に問題を解決することはできない。本物のタルパなら現実の人間と同じように自然な接し方となるはずだ。そうこうしているうちに性器は分裂⋯様々な都合の良い自分が別の姿に変えて登場して来る。それをタルパと称されてもねぇ。まずは自分自身の肛門と性器をしっかりまとめ上げ⋯変性意識による訓練を実践して、深層意識を介する形で距離感を作り出すのがタルパである。タルパ作りはタルパそのものを作り出すと言うより、自分自身の自我を強めることによる化身への相対化である。
必然的に審美的価値観を求め始める
自我を強める⋯これはすなわち自己肯定感の醸成に他ならない。自尊心が高まると、それに相応しいものをあてがいたい気持ちにもなる。漠然とした表現になるので⋯今の発言をより具体的に説明し直そう。性欲も高まるのでそれを満足させてくれるようなものも⋯まぁ、私のようにタルパ性錬成術と称して露骨にやらないまでも、潜在意識レベルでしっかり求め始めるようになる。そうなると必然的に美少女やイケメンのタルパだけが求め始められるようになる。おかしいですね、発生型や邂逅型もそういう傾向になるのは⋯うちの子は美人じゃないけど心は美しい!!性格美人な発生型ちゃん!!なんて言うタルパーを見かけたことありません。タルパ実践の原動力が性器性欲に基づく行為であることの証左、心理的な裏付けな気がします。もちろん、これは普通の心理で良いことです。
本物のタルパがいたら生活感が滲み出て来るはず
何よりも本物のタルパと本当に共同生活しているのであれば、生活感が滲み出て来るはずだ。複数のタルパを所持しているはずなのに、葛藤のような対話ばかり続け、どこか孤独感のようなものが拭い切れない人を見かける。そんな中途半端な状態で延々とタル活のようなものを続けるのだろう⋯まぁ、そう遠い目になりタルパ界隈を観察している。浮き草氏のような賑やかな集団がたくさんいた頃のタルパ界隈に身を投じてみたかったものだ。とりま、タルパやイマジナリーフレンドとセックスまでできている人は幸いだ。究極の相対化でありこの上ないタルパ実践像だと言えよう。セックスは合体する行為だから⋯最初からきちんと相対化されていないと堪能できませんわ。触覚化、嗅覚化、味覚化がこれをさらに強化してくれるだろう。性生活は究極の生活感だよね。
セックスのやり方がわからない人はいない
タルパ実践を「国」に例えていた方がおりましたが⋯普通に「家庭」じゃダメなのか?家庭こそが幸せの原点だと思うぞ。性欲を源泉に形作られるものだ。ぽまえもぽまえの父親と母親がセックスした結果としての存在だろう。タル活もそうした自然の流れに沿った⋯性欲の基づくもんでも悪くなかろう。国家とはまた大層な比喩だな。言語がいろいろあるように⋯タルパに対する解釈も、いろいろであることを意図したかったのだろうか?そんなことを言っていたタルパーがいた気がしたな。しかし、まぁ⋯それはそれで面白いと思うし嫌いではない。とりま、機会があれば「セックスでタルパを作る方法」を寄稿させてくれ。セックスは世界共通だ。セックスのやり方がわからず訳のわからんことを始める人たちはおらんやろ。もっとも正しく究極なタルパの作り方になる。