タルパセックス性治学|人間の本質である性欲と現代社会

投稿日 2025.03.11 更新日 2025.03.13
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このサイトは⋯恐らく、日本初となるタルパやイマジナリーフレンドとの性的交流、セックスに関する話題を専門的に取り扱ったエログになると思います。サイトの規模も日に日に増しており、訪問者数もかなり増えて来ました。突発的に数百人から千人前後に急増することも珍しくなくなり、タルパ界隈やイマジナリーフレンド界隈の人口から考えて⋯オカルト界のあちこちから注目を集め始めているんだと思います。オカルトやスピリチュアルと無縁な一般人も検索エンジン等から流入していると思います。誤解や偏見を生み出さないためにも、当方なりのしっかりとした意見、考えは主張しておこうと思います。とりま、タイトルにもある通り、人間の本質である性欲の⋯昨今のLGBT問題から赤いきつね問題も絡めて、現代社会の中でのあり方を述べてみたい。

少子高齢化の根本原因

現在、日本は深刻な少子高齢化社会となっておりますが⋯原因はいろいろあると思います。今の氷河期世代による第三次ベビーブームが幻に終わったのが主因だと考えられていますが、経済が上向いて来た現在においても出生率は低下傾向です。やはり、別の原因⋯現状までにおける社会環境のもっと根本的な部分に、若者を恋愛下手にしている、性認識を狂わせている何かがあるのが⋯最大の原因でないかと考えます。見合い結婚が当たり前であった前時代の感覚のまま、恋愛やセックスの本質、前提条件を語ることなく、限りなく形だけの性教育を受けさせただけでは⋯若者は好奇心と罪悪感の狭間で不安でいっぱいになるだけです。どんな人でも自動的に⋯と言ったら語弊がありますが、誰でも結婚できた時代とは違います。恋愛とセックスを語れるのは占い師だけ⋯ではいけません。

某巨大掲示板のブルマネタではないが⋯

そもそも、昨今の学校教員による目に余る性犯罪の多さは問題です。教育は国家百年の大形です。校則でポニーテールを禁止しようとする発想からして歪んでいます。むしろ、若者らしいさっぱりとした髪型で、これに性的要素を見出す教師の側がおかしい。潜在的な性的欲望をカミングアウトしているも同然な変態的発想である。そんなことを本気で主張している教師は信用せず距離を置いた方がいい。教師による性犯罪は増える一方ですからね(2023年度で過去最多を記録)。教員を採用する際は性癖等までを含めた身辺調査を徹底的に行うべきです。ロリコンやショタコンを絶対に教壇に立たせてはいけない。授業中の脱線話やホームルームなどで、自身の体験を織り交ぜる形で「恋愛とは何か?」を語れるくらいの器を持った大人な人を教師にすべきである。

アダルトコンテンツと性犯罪の相関性について

そもそも、思春期の若者を相手にする仕事なのに、恋愛について何一つ語れないのはおかしい。でも、ポニテ禁止とか変なものは考えられる。そうした前提条件からして、現在社会の若者たちの性認識は正しい方向へ醸成されて行かず、恋愛に奥手となり現状の少子高齢化社会を招いているのだ。もちろん、学校ばかり責任を求めるつもりもない。メディアの影響も大きい。好奇心をくすぐる娯楽的な要素のある⋯ちょっとくらいエッチなコンテンツはあってもいいだろう。しかし、拙速が過ぎる内容構成は考えものだ。セックスの前提条件として恋愛感情と言うものがあるはずだ。それをくすぐりながら最後の総仕上げとしてセックスを語るべきだろう。アダルトコンテンツと性犯罪の相関性には賛否が分かれているが、個人的には悪影響はあるものと思う。過激なものは禁止すべきだ。

厚労省認定少子化対策選定アダルト作品

不同意性交やレイプをモチーフにした作品は⋯ちょっと、どうよって思う。普通の恋愛感情を発端に男女がセックスに至るストーリーではダメなのか?若者たちは「性」に悩み、自身のセックス像に不安を抱いているのだ。緊縛やSMを嗜んでいる自分が言うのも変な話であるが⋯不同意性交、レイプ、ロリコン、ショタコン、不倫、エログロなどの性愛表現で⋯若者のそうした不安は解消できないと思う。希望と安心感を与え、実際の恋愛へ心を突き動かさせるようなコンテンツでなければ⋯勇気が芽生えず、いつまで経っても現実で恋愛とセックスができないと思う。国などの公的機関がそのような方向性でアダルトコンテンツを規制すべきである。いや、積極的に奨励すべきである。文部科学省選定作品ならぬ厚労省認定少子化対策選定アダルト作品として啓蒙すべきである。

自然な性認識を養わせて正しい恋愛感情を引き出す文化

恋愛の形は人それぞれであり、とても歯がゆく感じるものだ。男女が互いに葛藤し合った末に交わされる契りは美しい。露骨な性表現も不要だと思う。セックスのやり方くらいイメージできない者はいないだろう。実際の自分自身の大切なものを意識して、そういうイメージを醸成させて、考えさせて楽しめる⋯ライトで大人なアダルトコンテンツを積極的に提供して行けばいい。個人的にアダルトコンテンツと性犯罪の相関性はあるものと危惧しているが⋯ここで指摘したいのは作品の内容、質だ。アダルトコンテンツそのものを全面的に抑止するのも逆効果となる。情報がなくなると不安感が加速される。ピュアな恋愛感情に基づく、男女の営みを美しく表現するのは尊い。多感な若者たちの心に希望と安心感を与え、恋愛やセックスに良い意味で向き合えるようなる子が増えるだろう。

それぞれの性事情に合わせた本当の意味での多様性

もちろん、恋愛は思い通りに行くものではないし、事情から人並みの恋愛を求めるのが難しい人も中にはいるだろう。愛し合うもセックスや不妊に悩むカップルだって少なくない。そうした人達も自分らしく生きることができ、有意義に活躍できる社会作りも大切だ。これこそが本当の意味での多様性だろう。それぞれが抱える「性」の悩みを理解し合える社会作りも急務だ。恋愛できない自分を卑屈に思い、それを誤魔化したり自己正当化するため、昨今に見るような似非フェミニズムを主張するのは本末転倒である。妙ちくりんな思想信条の乱立は多様性ではない。そんなものは暴走族と一緒だ。あと、何度も言うがフェミニズム自体は正常な思想である。近代の民主的な国家において男女平等意識は当たり前の観念だ。ここではそれとまったく無関係な似非に対する問題提起をしている。

不自然な性的意識は現実社会との齟齬を生み出す

性的意識にも様々なレベルのものがある。潜在的な無意識としての性欲、顕在的な思考としての性欲⋯感性は人それぞれとなるため、この両者の意識の中での比率も人それぞれとなるだろう。それに対する向き合い方や考え方も人それぞれとなるだろう。いろいろあっていい。しかし、性的意識が不自然で自らの意思で現実社会を生きづらいものに変えている人が一定数いる。上述の自称フェミニストもそうだし、オカルト界で当方に噛みついて来たアンチどもがそうだ。いずれにしても限りなく個人的な問題で、他者を巻き込むことで無理矢理に承認欲求を満たそうとするから始末が悪い。もう病的である。人間の行動原理、心理は、すべて潜在的な無意識としての性欲に起因しているため、ある意味で性に正直であり人間らしい行動と言えるが⋯極端であり社会適応的なものではない。

指摘し始めたらキリがない

セクハラやTPOを弁えないものは考えものであるが⋯ぶっちゃけ、少しくらい性的魅力に感じられるものを目の前にして、感情的になったり激しく同様するのは異常だと思う。穢れを知らない小学生の男児や女児じゃあるまいし⋯いい歳した大人がそれはみっともない。少しくらい性的魅力に感じられるものの基準として、指摘し始めたらキリがない⋯常識的に考えて、わざわざ口に出して言わなくてもいいレベルのものになる。赤いきつねがそうだし⋯男女が単に楽しそうに会話しているだけで惚気はやめろと喚き散らす変人だ。男性と違い丸みのある体系をした女性の自然な挙動に対して、腰をくねらせてキモいなど言う者は寸胴体系をした者の僻みにしか聞こえない。それを言ったら⋯丸の内などのオフィス街では、昼休みともなれば腰をくねらせて歩くOLだらけとなる。

節度や品性を持った大人になれ

誰しも学校の保健体育の授業で性教育を受けるはずだ。それをきっかけに、大人になると抱え込むであろう自分自身の体に関する問題を考え始め、これは人間として普通で自然な感覚であることを学ぶはずだ。現実社会を生きる上での常識であり、暗黙の了解として咀嚼、理解できるようになるはずだ。そして、自制心と自立心を兼ね揃えた責任ある大人へ成長して行く。思ったことをそのまま口にして、喚き散らすようなみっともない真似はしない。それが節度や品性を持った大人とも言える。余計な一言になるかもしれないが⋯魅力的な異性を目の前にして我を失うような人は人間として修行不足。だから、高校生くらいのうちから異性を意識した行動、コミュニケーションを楽しめ。異性慣れしていない人は本当に運が悪い。これに恋愛やセックスの経験有無は関係ない。

恋愛できなかった理由を他責にするな

こんなことまであまり言及したくないのだが⋯容姿や性格に自信がなく、恋愛に億劫な人こそ、若いうちから積極的に行動すべきである。やはりと言うか、当たり前な話となるが⋯恋愛は若い時ほど有利である。もちろん、上でも述べた通り、恋愛は思い通りにはいかない。もしかすると⋯しかし、傷つくことを恐れるあまり、まったく行動しないで後から後悔するのと⋯確かに辛い思いはするかもしれないが、当たって砕けてみるのとでは⋯後者の方が自分自身の成長のためにも勇気ある行動、精神的な資産になると考える。それは別の形で幸せになるための経験になると思う。恋愛できなかった理由を他責にするな。それはすべて自分自身の問題となる。いかなる事情があろうとも、他人の男性らしさ女性らしさの追求まで阻害するな。嫌なら視線を逸らして黙っていろ。