タルパ戦争論|浮き草氏の思念体定義

タルパ戦争とは一体何だったのか?
それは、浮き草氏が残した一つの大きな教訓、後世に課した無言の問題提起であったのかもしれない。
浮き草氏がそう定義したのかどうかは知らないが⋯⋯
当時、浮き草氏に近い立場にいた者によれば⋯⋯まぁ、クロリン氏のことになるが、浮き草氏のグループ内で「内的思念生命体」なる概念が、タルパ実践における基本理念、本質として説かれていた様子だ。
内心を自分以外の誰かに直接見せることはできないので、タルパのような精神的産物は主観によってのみしか存在を維持できないとする思想らしい。
故にXなどのSNSにおけるタルパ専用垢により、存在を表面化、可視化させているタルパは「外的思念再現体」と呼び、ネット上で再現しているだけに過ぎないタルパの模倣体、副体のようなものとなる。
ネット上での他ルパーまたは他ルパとの交流を目的に、内的思念生命体と現実世界の橋渡し的な役割を果たす機能的な存在と言え、内的思念生命体⋯⋯つまり、タルパから切り離された別の概念に基づく存在となる。
しかし、これは「なりきり」とは違う。
なりきりによるものは「外的思念想像体」なる⋯⋯自己顕示欲に基づく妄想による産物と定義されている。この場合、タルパの模倣体、副体としての位置付けのものでないらしい。
前置きのような話が長くなったが⋯⋯
つまり、共有ダイブの技を開発、発展させることで、外的思念再現体(模倣体、副体)を介することなく、内的思念生命体(タルパ)の露出、他ルパとの直接的な交流が叶うようになるものと考えられていたのかもしれない。
しかし⋯⋯
外的思念想像体(モノマネ、なりきり)であったなら、内的思念生命体(タルパ)の露出されず、共有ダイブも演技、ゴッコ遊びと言うことになる。
だが、そう言う人間ほど催眠、暗示にかけやすい。
まず、共有ダイブ以前にダイブそのものの実践性を確認する。ここである特徴が際立てば、変性意識状態であったとしてもダイブとは言えない。
ただのトランス状態に過ぎない。興奮しているだけ。タルパすらいるのかも怪しくなって来る。
そう言った者は⋯⋯
DBのミスターサタンのように大言壮語、虚言を吐いて来るだろう。なまじ変性意識である分、本心や本音をバカ正直に吐露するかもしれない。
浮き草氏は計画段階からそう睨んでいた。
共有ダイブは強い変性意識状態を維持せねばならないため、キーボード操作等は困難となる。このため、ヘッドセットを用いたSkypeによる意識疎通に限定された。浮き草氏は録音の準備も手抜かりなく進める。
それでも浮き草氏は希望を持っていた。数人くらい見込みのある者が発掘できるかもしれない。共有ダイブの先駆けとして⋯⋯
つづく