性表現規制vs表現の自由

2025.12.17
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このエログは⋯人間の欲望にまみれたオカルトの中のオカルトを語っております。霊体とセックスする方法について考察しております。いわゆるアストラルセックスやチャネリングと呼ばれるものになります。オカルトと言う特殊なジャンルの中においてですが⋯性に関する考察をしている者として、いずれは見解を示したり、立場を表明せねばならない話題になると思う。性表現規制と表現の自由のジレンマについてだ。結論から述べると⋯昨今のこの手の議論には懐疑的である。議論の本質から大きく逸脱している感が否めず、問題のすり替えに他ならない。具体的には⋯今ようなフェミニズムのあり方による性表現規制論とそれに対する反論だ。また、恋愛感情を揺さぶり性愛への憧れを誘う性表現は尊いと思うし、むしろ、青少年の健全な育成に役立つと思う。

大切な前提条件

変な誤解をされると困るので、本題に入る前に言っておきたいことがある。まず、私自身はフェミニズムに反対的な意見は持っていない。フェミニズム自体は近代民主国家において啓蒙されるべき当然かつ健全な思想である。また、伝統保守を否定する意図もなく、守るべき文化的、歴史的な価値観であり、社会の秩序を保つために必要なものであり、先人を敬うのは成熟した国家の証だ。恋愛感情を揺さぶり性愛への憧れを誘う性表現は尊いとも述べたが⋯もちろん、適法適性であるのが前提条件である。違法性のあるものや犯罪的な心理を醸成、誘発する恐れのあるものは排除すべきである。常日頃からセックスの素晴らしさを教え説いているが⋯不同意性交やレイプは人間性を放棄する最低最悪の行為である。犬猫などの動物じゃあるまいし、こんなものは極刑でも良いと思っている。

大人なら潜在的な性欲を表面化させるな

赤いきつねアニメCM問題に見るよう⋯潜在的な性欲レベルでの低次元な議論が蔓延っている。底の見えない不毛な論戦であり、ソーセージやバナナまで店頭から消えてしまう。無意味、無価値である。別に公共の電波で流されたものでもない。嫌ならば見なければいい。また、性意識を触発する恐れのあるものを、そう思わせる演出で描写するのも控えるべきだと思う。どちらにしても大人ならわかる話だ。全裸の女性がカップ麺を啜っていたなら怒っていい。食品系のサイトでそんなものを見せつけられたら不快だ。まぁ、昭和はそんなCMが普通に流れていたが⋯また、この世は男と女がおり感性は十人十色となる。どのような要素も性的に受け止められる可能性はある。その点は情報を発信する側も頭の片隅に入れておくべきだろう。そもそも、広告戦略と心理学は表裏一体だ。

個人的な性認識の問題を社会問題にすり替えているだけ

現状におけるフェミニズムは⋯ただの男性嫌悪が実態であり、男女平等の原理原則から大きくかけ離れ、男女間はもとより様々な性認識を持つ人たちの間で憎悪の感情を煽ろうとしているだけの反社会的な運動に過ぎない。本物のフェミニストはそんな一円の価値にもならないことに加勢している暇はない。多くが学業や仕事で多忙な日々を過ごしているだろう。これに対して反論する側も慎重な姿勢が求められる。彼女らの思惑に乗って女性嫌悪へ先鋭化、同じ穴の狢にならないよう注意が必要だ。極端な論法で世を騒がす人は磁石の如く対極となる同類の価値観を引き付けやすい。これらの根底にあるものは⋯物心が付き始める幼少期での性認識のあり方、フロイト心理学的に言う男根期から由来している。男根期以降の歪みは⋯将来、芽生えるであろう大人の性欲に悪影響を及ぼす。

性で感情的にならないのが大人

人間の三大欲求の一つとされる性欲は⋯人格形成を語る上で欠くことのできない基本要素となる。幼少期における生理的な欲求本能(食と排泄)を、思春期までに快楽との向き合い方に学ばせたものが「性格」なのだ。快楽はセックスなどの性的なもの限られないが、すべて潜在的な性欲の上に成り立っている。人間はあらゆる場面で様々な快楽を導き出し、楽をしようとしたり葛藤する生き物と言えるだろう。物心が付き始める男根期から小学校高学年の潜伏期までの間は⋯本当に大切な期間となる。多くの葛藤を乗り越えて行くことで強い心が育まれ、思春期以降は快楽に溺れることなく一人前の大人として成長して行けるのだ。男根期は自我が本格的に増長し始めるが、潜伏期でそれを適切に抑えながら社会性を身に付けさせて行かないと、性欲による暴走を抑えることができなくなる。

さまざまな形で発現する性欲の暴走

性欲による暴走とは⋯イメージ的に性犯罪の類、セックス依存症やポルノ中毒などの精神疾患を思わせるが、それだけに限定されない広い意味を持つ。ここで述べたいのは⋯人間は高度な知能を持つ社会的動物であるが故としてのものである。上述した通り、人間はあらゆる場面で様々な快楽を導き出そうとする。それに対する誤った判断、問題的な心理行動を指摘したいのだ。具体例を上げたら切りがないが⋯似非フェミニズムに見るような男性嫌悪がその最たるものだと言える。何度も言うが⋯性欲は人格形成の原点であり、すべての快楽⋯欲求的な心理を潜在的に根底から支えるものである。セックスしたい欲求に限られない。潜在的な性欲レベルでの低次元な主張も、性欲の一形態、代替的な心理と言え、当人たちの性的コンプレックスに起因している性欲の暴走に他ならない。

人間の誤った行動は性欲の歪みが根本原因

余談となるが⋯人間の誤った判断、問題的な心理行動の根本原因は、すべて性格形成の原点、原理である性欲の歪みにある。性欲による暴走は様々な形のものがある。上述したセックス依存症やポルノ中毒と言ったわかりやすいものから、日常生活レベルにおけるものまで多種多様だ。いじめなんかも性的倒錯の一種であり、性欲を解消するための代替的な行為に他ならない。ネット誹謗中傷もそうだ。そうすることで脳内ホルモンを分泌させて快楽を得ているのだから⋯なかなかの変態と言える。似非フェミニストも男性や恵まれた女性を叩くことで快感を得ているのだろう。車内トラブルを起こすような者は性欲が枯渇して終わっている人だ。煽り運転する男は勃たないか小さいものしか持っていないと思う。経済犯を除き⋯多くの犯罪行為も性欲の歪みに起因したものだと考える。

潜在的性欲と言う無意識を根拠に法規制しようとする危険性

みずみずしく描かれた可愛らしい少女や丸みを帯びた体つきをした大人の女性のイラスト(別に肌の露出はない)を見ても⋯大人なら動揺しない。それに対して過剰反応する者は潜在的な性欲をあらわにしている状態で、自ら性的倒錯者であることを自己紹介しているも同然な精神的に未熟な人だと言える。不自然なまで巨乳に描かれているとか、発情しているような雰囲気でもない限り⋯そこから猥褻性を見出す者の方がおかしい。そうした極端な風潮を背景に性表現規制を後押しするのは危険だろう。表現の自由以前に洗脳や内心の自由侵害に通じる恐れがある。性表現規制は人々に一定の性モラルを促し、社会を安定的に保つのが目的である。潜在的な性欲は各自がコントロールすべき課題、大人としてのマナーや心得であり、性的倒錯の類は精神保健分野における個別事案だろう。

理性的かつ合理的に問題性を説明できるのか?

男性が男らしさや女性が女らしさを追求するのは自然な欲求である。性同一性障害やLGBTなどの事情がある人を除いて⋯それを否定的に感じたり思う人は、自らの性認識に基づく自分らしさの確立を苦手としている人たちなんだろうと思う。実際、その類の人たちは生きづらそうだ。それで上手く立ち振る舞えている人が気に食わないから規制しろだとか、やめろは理不尽だろう。赤いきつねアニメCMは⋯ぶっちゃけ、エロ要素はゼロではない。女性らしさが強調されている点は揺るぎない事実だ。しかし、ちょっとくらい潜在的な性欲をくすぐるもので⋯いい歳した大人が小学生女児みたいに声を荒げるのはみっともない。大人なら適切に抑えることができるはずだし余計なことは何も言わない。理性的かつ合理的に問題性を指摘、説明できないなら、ただの私怨に過ぎない。

感情論は個人的な性癖の暴露タイム

どこぞの野党の議員さんが某少女漫画を醜悪と批判して物議を醸した出来事は記憶に新しいだろう。タイ人の十代女児が風俗店で働かされていた事件を引き合いに出し、この手に出版物、映像作品の根絶一掃を主張していたが⋯ざっと確認してみた限り、猥褻性は皆無で十代女児らの普通の日常生活が描かれているだけの作品だった。これのどこが醜悪なのか疑問である。そもそも類似作品はこれまでに多数あり、たまたま同作品の水着姿シーンを目にして⋯うっかり、自分の潜在的な性欲に由来する感情を暴走させたのだろう⋯としか思えない。夏場、プールや海に行けば水着姿の子供ならたくさんいる。そのワンシーンを表現することの何がいけないのか訳がわからないし、それを児童ポルノと無条件に結び付ける方が不気味だし不健全に思えて来る。もう少し冷静になるべきだろう。

新しい社会病理かもしれない

タイ人の十代女児が風俗店で働かされていた事件は、法的不備、制度的な欠陥によるものだ。どういった経緯でそうした悲劇が起きたのか⋯現場レベルでの原因究明と対策を考えるのが議員としての現実的な仕事だろう。漫画やアニメを批判したところで意味はない。性欲は人間が人間である以上⋯向き合い続けなければならない本能的欲求だ。日常の何気ない光景でいちいち感情的になって取り乱している方が異常だ。昭和の時代は⋯確かに過激が過ぎていたのは否めない。しかし、性表現の適性化が十分に図られた時代に至っているにも関わらず、昨今の性意識に対するそうした過剰とも取れる不自然で違和感を覚える意見の数々は、ポルノ中毒的な新しい社会病理、症候群的な何かではないかとすら思う。以上、ゾーニングされた側から見た一般社会での息苦しい状況を細い目で見てみた。