タルパー&タルパ性的交流まとめ

2026.02.20
Pixabay

この記事を最後にこのエログでの考察は一旦終わりにしたい。タルパやイマジナリーフレンドとの性的交流に役立つ情報を十分過ぎるほど提供して来たつもりだ。これ以上、何かを書き述べる必要はないだろう。今後、このエログは夢小説とイラスト、占い等を中心とした創作的活動の場にシフトさせる。とりま、タルパとの性的交流について⋯最低限、伝えておきたい内容を書き残しておきたい。すでに誤解のようなものを生みだしている恐れもある。このエログの内容を読んで傷ついた人も少なくないだろう。懸念する問題点を一つづつ丁寧に弁明させてもらいたい。タルパやイマジナリーフレンドの世界は訳ありな人が多い点は重々承知している。自分がこうも人を選ぶ要素が強いのは⋯UFO研究家で名高い〇追純一氏の思想に感銘、強い影響を受けているからだ。

本物のタルパ

タルパは一つの独立した意志を持ち、自分の意識から完全に分離された存在⋯だから、現実の人間と対話しているような感覚になる。わかりやすく一口で説明すると、夢の中に登場して来る人物と同じである。夢見は変性意識状態である⋯故にタルパ作りの訓練は変性意識になって行う必要があると言える。夢は寝ている時に見るものとは限らない。思考が勝手に巡っていることに気づき、はっと我に立ち返る経験をしたことのある人は多いだろう。白昼夢と言う現象だ。寝ている時のものに比べ、訓練と言う自由意識による恣意的行為に最適だ。ただ、普通に白昼夢を見ようとしても、途中から無関係な思考に押し流され始め、訓練の意味をなさなくなる。このため白昼夢を明晰夢化させる必要がある。夢の登場人物は再現性のない存在だが⋯タルパは明晰夢化させた白昼夢でこれを実現する。

自動化の本当の意味

夢の登場人物は再現性がない。一時的な存在に過ぎない。しかし、明晰夢化させた白昼夢で何度も繰り返し見ることで、夢見から目覚めた状態⋯通常意識状態でも無意識でその存在を持続的に感じることができようになる。これがタルパ界隈的に言う自動化と呼ばれるものだ。白昼夢による訓練の最大の特徴として⋯目を開けた状態でも変性意識になれる点だ。これで現実空間を背景にした視覚化も叶うと言う訳だ。ただ、個人的に視覚化は推奨しない。薬物や精神疾患による幻覚症状との区別がつかないため、視覚化を実現していることを吐露していると、高い確率でそうした者たちが、同じ苦しみを分かち合える同志と勘違いされ接近して来る。そうした者たちと一線を画す意味から、空想を自動化するまでに留めるべきだろう。さらに、空想に独自の世界観を構築すると良い。

内なる存在との対話を目指す

空想に独自の世界観⋯お察しの通り、これはダイブ界のことを意味する。単に異世界トリップのようなものを楽しみたい意図からではない。心の中でもタルパとの距離感をしっかり保ち、双極性障害や内在性乖離などの気分障害をはじめ、解離性同一性障害により感じられるものとの区別化を図るのが主目的である。これらの精神疾患にある者は一人二役の自動化訓練法を都合良く解釈して、オカルトの世界に交雑して来ていた。最近はめっきり姿を見せなくなったが⋯本来のタルパ実践像に納得がいかず、タルパやイマジナリーフレンドの世界を荒らし回っていた連中となる。そうした者たちからすれば、タルパとの対話は違和感を覚えたのだろう。と⋯まぁ、ここまではいつもと同じスタンスか。でも、本場チベット密教のトゥルパもこのような流れで作り出しているものと思われる。

心に病を持った者でもタルパを作って構わない

本場チベット密教の場合、宗教的哲学の考え方、思想に基づく凡人には解り得ぬ難解な世界観の中でのものになるのだろう。チベットの伝説で語り継がれる理想郷、シャンバラか⋯その中でトゥルパと対話することで究極の悟りが得られ、至高の真理に迫ることができるのだろう。浮き草氏が提唱したダイブも、タルパ実践で的を得た代替技法になる⋯と思う。さて、前提となる話は長くなったが、核心となる部分に触れて行こう。タルパと病理の混同は断じて認められない。タルパはオカルトであり心理学であり哲学だ。そして、重要な点になるので何度も強調しておくが⋯面と向かい合って対話できる存在だ。憑依と称し一人二役の訓練を常態化させたなりきり演者とは違う。しかし、タルパと病理の区別がちゃんとついているのであれば、心に病を持った者でもタルパは作って構わない。

タルパと病理の区別

前々回の記事から述べている通り⋯タルパ界隈でよく見かける心の病は、自分らしさや自立心の象徴としての性器の問題だと考える。再び、肛門(自制心)と結び付けることで、精神的なバランスが保てるようになり、本来の一人の自分、正常な自我を取り戻すことができるかもしれない。詳しくはフロイトの心の構造論を各自で調べてみて欲しい。イド(欲求)と超自我(自制)を拮抗させることで、エゴ(自我)が正常に保てる考え方と同じだ。イドと超自我のバランスが極端に崩れることで心の病に罹るのだ。まぁ、多少の偏りは個性だ。これも何度も言うが⋯この世に完璧な人間なんていない。タルパと病理の区別とは⋯タルパを性器に見立てていないか否かの違いだと言える。本物のタルパーは自分の性器と肛門をしっかり連携させ、タルパをその両者の間で維持させている。

タルパと称した性衝動

もちろん、性器に見立てたタルパは本物のタルパではない。それは分離した自分自身の一部に過ぎない。擬人化させることで正気が保てる。そして、どういう訳か性的な魅力に溢れる容姿をしたものばかりだ。満たされない欲求⋯性欲を放し飼いにしている状態だと言える。タルパで問題を起こす者に動物型がいない理由はこれだと言えるだろう。こうした観点から⋯タルパを作るなら動物型が一番だろうな。人間でないから投影心理は起こりづらい。性欲は性格形成の根源であり、性的欲動であるリビドーがすべての行動心理を司っているのだ。人格はわずかに顕在化された性欲と大部分の潜在化された性欲の塊と言っても差し支えないだろう。どんな人も性欲に基づき生きている。自分が本来抱えている問題や不都合な真実を誤魔化すため、タルパと称した性衝動を見せているだけだ。

観念体の正体

タルパ作りに挑戦するなら⋯まず、自分が抱えている問題や不都合な真実を認めた上でなければならない。でないと、知らず知らずのうちに自分からそれらを切り離すようになり、タルパと称する存在へ押し付け、自分で自分の責任を取ろうとしなくなるだろう。もちろん、問題は解決されない。現実社会で恋愛できない、セックスを一度も経験したことのない事実を忘れたいがため、タルパで独自の貞操観念を披露したところで、いつまで経っても現実で恋愛なんかできやしない。まぁ、これは恋愛に限った話ではない。現実社会を生きる上での様々な観点から言える。以前、そうした仕方のない連中の言うタルパを思念体ではなく観念体と言っていたと思う。思念は自身自身で思ったり考えること⋯観念はその内容だが、タルパを性器に見立て分離させたものがそうだと言える。

自分を好きになるところから始めよう

コンプレックスやトラウマの類も性器側の心因となると思う。ただ、これ以上はプライバシーの問題、内心の自由を侵害する恐れが出て来るのでやめる。タルパの暴走現象も、今改めて定義し直すと⋯自制心を失った性欲の暴走、制御対象を失った肛門の怒りや独善とも解釈できる。すべて人間側の問題だ。鏡の前でオナニーして自分の性欲を直視するのは極端なやり方にしろ⋯タルパに興味を持ったら⋯まず、今の自分を好きになるところから始めてみたらどうだろうか。卑屈な人はどこか自分で認めることのできない一部の自分を抱えている気がする。例えば、恋愛とセックスね。ただ、私がそちら方面で見下しているのはタルパでそうした問題を起こしている者だ。恋愛は難しい⋯いろいろ訳あって恋愛の機会を逃していた【正常でまともな人】なら、何歳になっても恋愛に挑戦していい。

タルパ戦争も性欲が深く関与

自分を好きになるところ始めれば⋯自ずと性器と肛門の結び付きは強まり、精神的なバランスの取れた所持者の自我と相対するように⋯タルパの自動化を自然と進めることができるだろう。自分の性欲は自分のものだ。まぁ、それが今現在におけるもっとも効果的なタルパ作りの要素になる。上手に性欲と付き合うことだ。話は急に変わるが⋯タルパ戦争、共有ダイブも性欲が深く関わっているものと見ている。タルパ界隈いじり創作小説では集団テレフォンセックスがどうこうと描いているが⋯ありゃ冗談だぞ。真に受けるな。浮き草氏やホロ女史は⋯良い意味で性器を分離させて、それを互いに共有していたのかもしれない。いや、肛門も共有していたのかもしれない。なんだか気持ちの悪い話に聞こえるが、集団で自立心と自制心の共鳴のような現象を引き起こしていた話かもしれない。

タルパ戦争における存在しないはずのタルパの正体

タルパは不可視の存在とも比喩されている通り⋯見えないけど存在する、存在していないけど感じる⋯と言った、シュレーディンガーの猫の逸話を思わせる不可解な矛盾的概念を持ち合わせている。通説で語られていたタルパ戦争の顛末が事実であったとしても⋯この観点から言えば、存在しないはずのタルパは存在していることにもなる。しかし、理屈に過ぎずいまいち積極力が足らない。オカルト的には何らかの霊体召喚かもしれないが⋯ここは心理学の見地からのみで考えたい。集団で自立心と自制心の共鳴と上述したが、タルパ戦争参会者たちの個々人の性欲を最大公約数化させたものが擬人化したもの⋯フロイトの心理性的発達理論に酷似したタルパの自動化体験の無意識的な共有、各自が所持しているタルパの自動化済み共通要素の無意識的な転用による瞬間創出と考えている。