性的少数者・同性愛のタルパ実践論
タルパやイマジナリーフレンドとの性的交流、思念体を専門にしたフィクトセクシュアルの考察を続けているが⋯これまでの話は、男性と女性に限定した、一般的な恋愛観やセックスに基づく内容となる。性的少数者、同性愛の人も思念体フィクトセクシュアルは楽しむことができます。むしろ、ノーマルな人よりも有利な条件で始められると思います。同性愛者の場合、自分の肉体を基準にイメージしていけば、かんたんにセクサタルパを作り出すことができそうです。もちろん、同性愛もそんなにシンプルではないと思います。人により独特の趣向、好きなシチュエーションはあると思います。ただ、同性愛のカップルを見ていると、似た者同士⋯と言ったら語弊があるかもしれませんが、同じような風貌、体格をしている傾向があるように感じられます。
同性愛の根源は何か?
冒頭で述べた内容は⋯もしかすると、少し偏見のようなものが入っているかもしれません。似た者同士の表現に不快感を覚えた方がおりましたらお詫び申し上げます。ただ、同性愛についていろいろ調べて行くと、そのような傾向に見受けられたので、正直な印象として述べさせて頂きました。実際、Googleの画像検索で見てみると⋯多くの同性愛カップルは似ているような気がします。中には双子ではないかとさえ思うものもありました。このことから⋯まぁ、私見となりますが、異性愛は母性(または父性)による幼児性欲を他者愛に転換させたものであるのに対して、同性愛は自己愛を他者愛へ転換させたものになると考えております。幼少期における「自分らしさ」の早熟化が原因だと考えます。もちろん、これは別に異常なことではありません。素晴らしい感性だと思います。
同性愛への目覚めは自分自身に対する性的意識
男性は自分の母親と似た要素を持つ女性を、恋愛対象として無意識に選ぶ傾向がある⋯前回の記事でそう述べました。これと同じにように、同性愛者も自分と似た要素のある「自分らしさ」を持つ相手を、恋愛対象として無意識に選んでいるのかもしれません。ただ、これは仮説に過ぎません。同棲してまったく同じ生活環境と生活習慣、食生活を共有し続けていれば⋯似た者夫婦なる言葉がある通り、お互いに雰囲気や風貌が似通って来るようになるのかもしれません。犬や猫も飼い主に似てきますから⋯ただ、ギリシャ神話のナルキッソスの逸話にもみるよう、同性愛は自分の肉体に対する性的意識、または、自分の肉体と同性の肉体を比較したり、投影のような憧れとしての性的意識を持つことで芽生えて行くように感じられます(三島由紀夫が同性愛に目覚めた逸話を根拠)。
自己愛との関連性について
自己愛は⋯ナルシシズムやナルシストと言った感じに、一般的に悪いニュアンス、戒め的な含みのある言葉として受け捉えられがちです。しかし、生命の自己保存本能から派生した性認識の因子で、肥大化すると自己愛性パーソナリティ障害になる危険性はありますが、弱過ぎても自己肯定感の低下を招き、メンタルの弱い子に育つ恐れもあるので良くありません。いずれにしても、幼児期の性格形成において欠くことできないもので、親が適切なコントロールを行うことで精神的にバランスの取れた子に成長して行きます。甘やかし過ぎても厳し過ぎてもいけません。しかし、育児は難しい⋯母性や父性による干渉でこれが揺らぎ、子供がある程度葛藤するのも避けられません。エディプス・コンプレックス等の呪縛から逃れるために致し方ないことかもしれません。
幼少期における「自分らしさ」の早熟化
親として子供の反抗期は本当に手を焼きますが⋯しかし、長い目で見ると必要で大切なことです。タルパの暴走はある意味で子供の反抗期と同じ原理かもしれませんね。もちろん、それはタルパ側の問題ではなく、タルパを作ろうとした本人の深層意識に由来する何かが原因です。この件はまた別の機会にでも詳しく語ろうと思います。持論になりますが⋯同性愛者は自己愛のバランスが完璧過ぎた故に、母性や父性による干渉で葛藤することなく、エディプス・コンプレックス等も体験していないのでないか?そう考えます。また、幼児期は程度の差こそあれ、自分は一体何者か?自分が自分であるのはどうしてか?そんな風にふと疑問に思うこともあるでしょう。幼少期における「自分らしさ」の早熟化とはそういうことです。幼児性欲も自分自身に対して向きやすくなると思います。
自分らしさの早熟化が他者愛へ転換するきっかけか?
前回の記事で触れた内容について言及しておきますが⋯父子家庭や母子家庭の子だからと言って、その子の性認識が歪むことはありません。むしろ、自分らしさを早期に確立して、しっかりとした子に育つケースが多いです。同性親子や異性親子と言った条件に関わらず、母性や父性で葛藤しづらいのではないかと思います。幼児性欲で自分らしさを後押しして、他の子よりも早い時期から強い自我を形成して行くものと思われます。まぁ、これは個人的な体験、自身のそう言った境遇にあった幾人かの同級生を見ての所感です。話を元に戻します。幼児性欲も自分自身に対してのみ向くことで、他の子より精神的に早熟、大人びた子へ育つようになるのは間違いないと思います。その一方で、一定の確立でそれがそのまま他者愛へ転換、大人の性へ昇華してしまうケースもあると思います。
同性愛と異性愛の分岐点
自己愛のバランス感覚を早い内に獲得して、幼児性欲が親に対してではなく、すべて自分自身に振り向くことで、性的な魅力や満足感、充実感を満たしてくれる理想的な自分自身に成長しようと意識し始めるのかもしれません。しかし、そのまま、大人の性に目覚めると、ナルキッソスのような理不尽、非合理な葛藤をしなければならなくなります。まぁ、ナルキッソスはそれに耐えきれず〇殺した訳ですが⋯現実ではそんなことは起こり得ないと考えます。上でも述べた通り、生命はそんなにやわな存在でありません。ここでも自己保存機能はちゃんと働くと思います。同性に対する他者愛への転換です。もちろん、これは絶対ではありません。ここで異性に振り向くケースも多いと思います。その違いが発生する要因は⋯自己愛を良い意味で他者へ投影するかしないかだと思います。
同性愛を目的としたタルパの利点
男女の恋愛関係において⋯男性が母親、または、女性が父親と似たような感じのする異性を無意識に選ぶことはあっても、自己愛を相手の異性に投影することはありません。同性愛の場合、自己愛を起点にした性認識と考えられるため、自分と似通った「自分らしさ」を無意識に相手に求めているのかもしれません。つまり、ドッペルゲンガーのようなタルパを作り出せば、その思いは十分に満たされると思います。自分の肉体をそのままモデルにすれば済みますから、難易度はかなり下がると思います。ただ、今の自分とそっくりに仕上げるのは何だかつまらないと思います。性格や容姿を理想の自分にすると良いでしょう。いずれ現実でもそれに近づけることでしょう。幼少期における自己愛を起点とした性的認識を追体験することで、新しい自分へ成長できるチャンスも得られます。
ハッテン場へ行けば済む話のような気もするが?
自分が自分の生き写しとなるタルパと恋愛、セックスするのは⋯なんだか奇妙なものに感じますが、元が自分の肉体だけあり、触覚化は最短で実装可能だと思います。ただ、同性愛でもコアなゲイの方の場合、これまでの話の内容に強い違和感を覚えているかもしれません。いわゆるハッテン場へ行けば、すぐに望むものは得られるため、わざわざタルパを作るのも変な話になるかもしれませんね。一方、レズビアンのハッテン場なんて⋯あまり聞いたことがありません。レズビアン志向のある女性タルパーの密やかな楽しみにはなりそうです。ノーマルな女性でも性的興奮による神秘体験を手軽に楽しみたいならこのやり方はありだと思います。応用ですが⋯女性への変身願望、女装趣味のある男性は、自分の姿をした男性としてのタルパに抱かれれば良いと思います。その逆も然りです。
同性愛カップルが似た者夫婦的になる理由
もちろん、これまでの話の内容は、タルパへの応用を踏まえた上での持論に過ぎません。同性愛カップルの風貌、容姿が似通って来るのは、双方の自己愛を良い意味で共鳴し合っている結果かもしれません。具体的に何かと言うと⋯お互いに肯定し合い、認め合い続ければ、それぞれの持っているものが二人の間で均質化して行くのかもしれません。男のことは男にしか、女のことは女にしか分からないことは山ほどあります。一般的な男女関係、どんなに夫婦生活が長い男女でも、パートナーのことを完全に理解し切るのは難しいです。男性からして女性をミステリアスに思うこともありますし、女性からして男性は謎(バカ)だと思う時もあるでしょう。同性愛ならそうした問題はすべてクリアできます。結ばれて以降からそうした作用も働くものと考えます。
自分の姿をしたタルパを作っても問題ないのか?
実在する人物をモデルにタルパを作るのは禁忌となります。オカルト的には生霊飛ばしになりますし、心理的には人間関係への執着につながり、ご自身の成長の機会や将来性が失われかねません。まぁ、オカルトだ心理学だ以前に⋯人間としての価値が大きく下がると思います。くれぐれも、片思いの人をモデルにしたタルパなんか作ろうと思わないことです。でも、自分自身の姿をしたタルパならどうか?精神的な悪影響は本当にないのか?ドッペルゲンガーを意図的に誘発させるようなものになります。疑問や不安が残ります。結論からして問題ありません。外在的、代理的なメタ認識機能の役割を果たす存在となるので、むしろ、メリットだらけになります。不思議な感じはするかもしれませんが、あなたの誤り訂正に尽力してくれる、良き運命の相棒になるやもしれません。