タルパとセックスの先にある本当の何かを手にしろ
オカルト的にしろ⋯科学的にしろ⋯何のためにタルパを作るのか?今一度、考えてみたい。タルパ界隈を見渡すと⋯セクシャルな容姿をしたタルパばかり作られている。性に悩める若者が多い点から見ても目的は明確だろう。誰しも恋愛とセックスがしたいものだ。しかし、タルパ戦争で浮き草氏が消え、タルパのセックス考察も潰えたことにより、タルパとの正しいセックスのやり方が今日まで長らく不明のままとなる。ガチは心霊界隈や催眠術などの専門界隈におり、対人トラブルの絶えないタルパ界隈になんか関わらない。思念体との性的交流の基本技法となるアストラルセックスなんか知る由もなかっただろう。その結果⋯タルパとの空想セックスによるただのオナニーや、それに対する三十路メンヘラおばさんによる惚気アンチ活動が蔓延る虚しい状況を招いた。
タルパを作る「目的」の基準
きっかけとなるものは人それぞれだろうが⋯自分自身の性認識の再確認と自分らしさの追求にあると言えるだろう。最大公約数的な模範解答のようなものとなるが、もっとも妥当な基準になると考える。性認識の再確認とは⋯これまで主張して来た通り、フロイトの心理性的発達理論に基づく、幼児性欲から性器性欲までの過程の追認、再学習的な行為となる。タルパ作りを通じて森羅万象を知ることとなり、自分を取り囲むすべての物事に対して達観できるようになるだろう。自動化や視覚化の訓練を通じて、物事は容易に自分の思い通りに動くものでないことを痛感する。葛藤するだろう⋯しかし、それを乗り越えることで本物のタルパを手にすることができるのだ。そして、タルパが自分の意思から独立して行くことで⋯自分が自分であること、自分らしさも実感できるのだ。
自分らしさとは自分に対して素直になれる状態
タルパ作りは同時に自分作りでもあるのだ。自分に対して素直になれない⋯自我の弱い人はタルパを作り出すのは難しい。そんな人がタルパに挑戦しても、自動化が一向に進まず、一人二役の自動化訓練から「なりきり」に腐心するようになるだけだろう。それが現状におけるタルパ界隈の実態である。本物は一握りに過ぎない。タルパを作り出すため、設計デザインや設定条件をいろいろ考えて決めるだろう。しかし、どんなに完璧で理想的な設計に仕上げられたとしても、それをタルパとして具象化できなければまったく意味がない。ただのお人形さんと同じである。タルパの自我を芽吹かせるためには⋯変性意識状態となり地道に訓練を続ける以外にない。まぁ、いろいろ小難しいことを述べて来たが⋯思い切った発想の転換をしてみることで、タルパ作りは容易なものともなるのだ。
開き直りが最強の自分らしさ
タルパやイマジナリーフレンドとセックスがしたい⋯はっきりそう言え。もちろん、タルパ作りに挑戦する人の全員がそうだとは言わない。中には本当にセックスが嫌いであったり、ペットの代わりとして動物型タルパを欲する人もいるだろう。少数派の方を否定するつもりはない。しかし、もっとも効率的で確実にタルパを作り出す方法は⋯セックスを目的にすることだ。たいていの人は躍起になり、ガチでやり込もうとするだろう。セックスは本当に励みとなり、容易に訓練を投げ出すことはなかろう。訓練自体も神秘的な性的快楽に包まれ、無上の多幸感から病みつきになるだろう。あとは勝手に自動化がサクサク進んで行くだろう。ある程度、自動化が進んで来たら⋯タルパとチャネリングセックスを試して見ると良いだろう。触覚は後からじっくり開発して行けばいい。
どうせタルパとセックスしたいだろ?
現在まで様々な訓練法が考案されているが⋯どうせ、タルパを欲しがる本当の理由はセックスだろう。自分に対して素直になれ。タルパと全裸で向き合いエッチな言葉を囁き合う一人二役の自動化訓練を試みたり、タルパにストリップをさせながら視覚化訓練すると良いだろう。従来の訓練は本当に地道でつまらないものだが⋯これなら飽きることなく楽しく続けられる。最短での完オートや⋯視覚化は本当に難しいが、脳裏へのイメージ醸成、固定、安定化が効率的に行えるだろう。また、前回記事でも述べた通り、タルパ作りを始める前に、自分の体とよく向き合って自信をつけておいた方が良いだろう。特別なオナニー法でそれは可能となる。タルパ作りを始める前に、まずは自分を取り戻してみることを強くおすすめする。オート化がまったく進まない者もそうして見ると良いだろう。
見えて来るタルパとのセックスの先にあるもの
ここまで自分に対して素直になることができれば⋯さらに一歩前へ踏み出すことができるようになるだろう。タルパとのセックスの先にあるものだ。それは恐らく⋯あなたが人生で本当に必要としているもの、必要となるものだろう。性は生である。セックスをすることで生きる喜びが得られ、何事に対しても意欲的になれるのだ。現実生活でいろいろやりたい事も出来て来るだろう。私の場合、あまりにもやりたい事があり過ぎて収拾が付かないくらいだ。タルパ界隈は⋯年がら年中、炎上騒ぎが絶えず、誹謗中傷と罵詈雑言の渦巻く世界だった。多くの者がデビューして引退して行く有り様だった。そんな中で誹謗中傷にも負けず、ガンガンパワーアップしてやり続けることのできている者こそ本物だと言える。対して似非はダンマリである。私は「性」の力でそうして来たのだ。
タルパの相対的意識分離説
以前、思春期(性器期)と言うものは⋯口唇期から潜伏期までの育成プロセスを、第二次性徴期直後から総まとめするような感じに追認して、一人前の大人としての自覚を養って行くものと述べた。自分自身の体や異性と葛藤、超越して行くことで精神的に強く成長して行くのだ。タルパを作り出す訓練もこれとまったく同じである。自分の意思からタルパを切り離して行くと言うよりは⋯自分の自我を強めて行き、タルパ(理想の人格を持った存在、頼れる存在)から離れて行く感じになると言えよう。そうすることで自分自身もタルパ以上の存在へ成長して行けるのだと思う。仮にこれを「相対的意識分離説」と呼びたい。これも以前に述べたことだが⋯タルパ作りはある意味において親離れ/子離れの感覚を踏襲することで、所持者とタルパの間で前向きな感情に生まれるのだと考える。
性を意識することでタルパ(理想)が具現化して行く
現実の幼少期から思春期におけるものが、本人一人だけの直接的な問題であるのに対して⋯タルパの場合、タルパを通じた間接的、相対的なものになると言えるだろう。タルパ作りはタルパを作るのではなく⋯実は自分を作り上げて行く、自分を再構築して行く過程で⋯自分から抽出する何かがタルパの正体になるものと考える。一人二役の訓練なんか、心理学的に見たら⋯すでに自分の中で刻まれたこれまでの記憶との対面になるとも言える。所詮は自分自身との対話だ。本来は無意識に自分自身に求めていた理想をタルパに託していたはずだ。無意識の理想は多くは叶いもしない幼児性欲的なものだ。タルパ作りで性、セックスを意識することで、性器性欲的なものへ昇華させ、それがあなた自身が本当に求めていたもの、本当にやりたかったこととして目に見えて来るようになるだろう。
いずれは現実でセックスするのだから⋯
もちろん、私のこれまでの主張、仮説は⋯すべて、個人的な体験に基づく持論に過ぎない。しかし、タルパ界隈のものを見ていると⋯多くのタルパと称するものが、幼児性欲的な精神的代替物、心理投影に見えてならない。心の支えと称してやるのは結構だが⋯本当に今の自分を支えているだけのものであってはならない。未来に対して希望が見出せる⋯運命の相棒として大切に育成して行って欲しいなと思う。そのためには、一つの大人の男性、一人の大人の女性としての自覚を持ち、タルパと共に歩む夢の道を模索して欲しい。ぶっちゃけ、セックスは極端な例に過ぎない。上でも述べた通り、動物型所持者もいるだろう。タルパ作りの目的がタルパとのセックスでないにしろ、自分の体と向き合って性をよく考えるべきだ。いずれ、現実でセックスをするようになるのだから。
童貞や処女は本来的に恥ずべきものでないから焦るな
大切な点になるので再度告知しておくが⋯当方で童貞や処女と嘲笑している対象は、あくまでも、タルパ界隈を荒らし回る他害メンヘラ女性やセクハラ野郎に対するものだ。未経験であることを引け目に感じることはない。なかなか恋人を作ることができずに悩んでいる人もいるだろう。それだ!それなのだ!タルパ作りに思いを馳せる源泉、力となるものは⋯そうした純心な心のあり方なのだ。タルパ作りを通じて、恋愛やセックスを考え続けることで、現実でも変化の兆しが見えて来るようになるだろう。性を意識したタルパ作りをすることで、性格も容姿も生まれ変わるように見違えて来る。自分の性格や容姿が原因で、恋をすることに億劫だった者も、2~3年もすれば大きく変わっているだろう。過去の卑屈な自分とさよならできているはずだ。もっと自信を持とう。
性欲を満たす目的でタルパを作っていいのか?
結論からして構いません。ぶっちゃけ、現実における通常の男女交際もそれです。では、聞きますが⋯純潔で尊い愛とは何か?考えたことあります?多くの人はそこまで考えていないと思います。恋愛は自然な感情で、セックスは本能的なものです。結婚は神の前で誓うものではありません。誰とは言わんが⋯少女漫画の読み過ぎか?好きなった人に自分の子供を産ませたい、好きなった人の子供を産みたい⋯ただ、それだけのものに過ぎません。それが人間としてのあり方で問題ありません。ちなみに、不同意性交や強姦は、幼児性欲をそのまま大人の性として暴走させた行為だと考えます。人間として最低ですね。しかし、他人の恋愛とセックスを邪魔する者もこれと同等です。いい歳こいて他人の恋愛事情に首を突っ込んで来たり、惚気批判をするような者は強姦魔みたいなもん。