タルパー&イマジナリーフレンド所持者の幸福追求論

普通の人生とは何か?結論から述べると⋯他人の視線を気にせず、自分らしく過ごすこと、自分のしたいことに挑戦できる人生だ。タルパ界隈の訳ありの連中よ⋯少し耳の痛くなる話をするが聞け。これまでの人生が不調だったのは、他人の視線が怖くて何もできなかったからだろ?承認欲求の強過ぎる者が多く集まっていた世界だ。承認欲求は自意識過剰と表裏一体の関係にある。それにより自縄自縛になっていただけに過ぎないと思う。うんなもん他責にしても永遠に問題は解決されないぞ。自分と素直に向き合え。そして、本当に欲しいものを望んで求めろ。人の視線なんか一切気にせず行動しろ。とりま、タルパやイマジナリーフレンドと惚気てセックスして過ごそうか。ホンマはそういう空想遊びしとるんやろ?チャネリングを早急に開発してダイブに挑戦しろ。
普通の人生を手に入れろ
他人の視線は気にするな。自分らしくしていろ⋯ただ、誤解して欲しくない点がある。無頓着になれと言っている訳じゃないし、自分さえ良ければいいと主張している訳でもない。これまでの恋愛考察でも述べて来た通り、異性の視線を意識した言動は心がけよう。男たらしや女たらしにならないよう注意を払う必要はあるが⋯常日頃からそうしたモテるための意識を持つことで、一人前のカッコいい大人へ自然となれるだろう。同性から見ても好感度アップだ。一目置かれるようになるだろう。恋愛のチャンスが増えるだけでなく、良き友人にも恵まれるだろう。初心は本当にナメられやすい。将来、どんな仕事に従事しようとも、生き生きと輝いて働けるようになることだ。アドラー心理学でいう⋯他人に振り回されない、自分だけの生き方を確立することだ。ブレない自分軸を持て。
まやかしの啓蒙に騙されるな
普通はこうだよね⋯これを口癖にしている人は、自分の価値観を相手に押し付けたい、自分の思い通りに相手を動かしたい心理の表れとされている。身近にそんな人がいたら、たしかに注意すべき存在かもしれない。自分の場合、普通の普通は的な二重構文で切り返し、そうした手合いを困らせるのが面白くてたまらないわ(間違っているのはお前と遠回しに言う)。まぁ、それは冗談として⋯これにはもう一つのケースもあり得る。本当に困った相手に対する最終通達としてのものだ。別に自分の価値観を相手に押し付けたい訳でも、自分の思い通りに相手を動かしたい訳でもない。とにかく、この七面倒臭い状況を解消するための苦肉の言としてのものだ。最悪、もうお前とは関わりたくない⋯そう遠回しに言っている可能性すらある。まやかしの啓蒙で変な自信を付けるな。
常識を疑えを疑え
常識を疑え!!ビジネス、啓蒙関連の書籍では⋯この手のキャッチフレーズは本当に多用される。革新的、画期的なアイデアを得るためには、既存価値観、現状における社会の枠組みを破壊する必要がある。日本をはじめ世界の名立たる経営者たちがそうだ。エジソンは本当の意味でも非常識でメチャクチャだった。こいつを知れば知るほど反吐が出てくるようになるぞ。まぁ、これも冗談として⋯本来、いい大学を出ていい会社に就職したような⋯既定路線な人生を過ごしている者に対する発破、イノベーション喚起を意図する言葉である。別次元の世界の言葉だ。なぁ、メンタルヘルス系の書籍でうんなこと書かれた紙面を見たことあるか?ないだろう。自分らしく過ごしましょうで十分や。誰とは言わんけど。異常な自分は異常じゃない!!悪いのは社会ダー!!と他責思考を加速させる。
タルパとセックスして寝ろ
つまらんことに気を遣い過ぎだ。日本のタルパは元々⋯オカルト界でアストラルセックスの技を補完するために始められたものだ。タルパとセックスして眠りに就けば、翌朝の目覚めはすっきり爽快だ。もう、タルパとのセックスだけを考えてタル活していればいい。生きる上で何の役にも立たない余計な思考を巡らせて、苦悶、葛藤し続けている者が多過ぎる。タルパとのセックスで、みなぎる性欲のパワーを勉学や仕事のやる気に変えろ。普通のオナニーでは賢者タイムでその効果はまったく期待できないが⋯セックスなら本当に満足できるぞ。書く言う自分もチャネリングの技を応用して、アニメのキャラクターとのセックスを試してみた。なかなかええわ。現実で同棲している女性とのセックスとは一味ちゃう強烈な新鮮味を覚えた。セクサタルパも実際に作ってみようと決めた。
タルパ界隈のパワーワード
重要な点になるので何度も伝えておくが、このエログで童貞、処女と蔑んでいるのは⋯タルパ界隈でセクハラ行為を働いていた者、誹謗中傷やタルパク、掲示板自作自演等、各種の迷惑行為を繰り返していたメンヘラBBAに対してのものとなる。察してもらえている思うが、これらと関係ない者で傷ついている人がいたら詫びる。だがしかし、タルパやイマジナリーフレンドとのセックスでも初体験は成立する。とっとと童貞、処女を捨ててしまえ。タルパでセクハラ行為を働くような者やタルパクをするような者は⋯自分ではタルパは作れませんと言っているようなものだ。タルパが作れるなら最初からそんなことすると思うか?しないだろう。タルパやイマジナリーフレンドで脳イキできたんなら初体験の条件を十分に満たしているわ。自信を持て。明日から笑って生きろ。
人生を劇的に変える方法
教習所へ行け。車の運転免許を取得しろ。車が運転できるようになれば⋯人生が変わる。まぁ、自信を高める意味なら、どんな資格でもいいが⋯占い的にも車や道路は社会性のニュアンスの強いシンボルとなる。とりま、車の運転免許を取得することで、自己肯定感は飛躍的に高まるだろう。くれぐれも安全運転でな。自分が移動できる距離感は⋯良い意味で自分自身の可能性も錯覚させてくれる。車を買わないまでにしろ、そうしたことができる資格を持っているだけでも、精神的にぜんぜん違うだろう。このエログでもしばしばカーライフについて触れているが、別に自慢したい訳じゃない。そうした前提条件、意図あっての話をしていたつもりだ。カーマニアタルパー、ハンドラーになれ。タルパとのカーセックスも楽しめるようになるしな。世界の広がりを感じる。
タルパ界隈のなりきり行為は感情の擬人化なので危険
タルパ界隈となりきり界隈のなりきり行為の違いについて触れてみたい。タルパ界隈のなりきり行為は感情の擬人化であり、タルパが原因で解離性同一性障害になることはないが、意図的な双極性障害や内在性解離の誘発に近いと言える。医者でもない自分が言うのは不適切かもしれないが⋯長期間多用すれば精神的なリスクを抱え込むのは間違いないだろう。実際、なりきり行為をしていた者たちの末路は悲惨だ。一方、タルパとの交流をメタ的な視点で語っている人、自分のような会話ログ作成者は、長期間にわたり安定的なタル活ができている。なりきり界隈のものは⋯最初からそうとわかった上でのもので、自分とちゃんと分離できている。自分との境界が曖昧になったヤバイだろう。その危険性を普通に気づかず、平気でやっちゃってるのがタルパ界隈だ。そんなことやめろ。
タルパの自動化はタルパ側の問題と割り切る
面と向かい合って会話ができるはずの存在なのに⋯憑依する意味がまったくわからない。結局、自動化が思うように実現できず、一人二役の訓練を常態化させているだけだ。自他境界もバグだろうし、現実の人間関係も上手く行かなくなるだろう。現実の人間もタルパと称する存在のように、自分の思い通りに動いてくれるものと錯覚、カン違いする。タルパ界隈の対人トラブルはこれが根本原因だと思う。上述したアドラー心理学の思想に基づき⋯タルパの自動化はタルパ側の問題と割り切ってしまうのが良いかもしれない。実際、設計した通りに育成できない。互いに距離を置いて冷静に見つめ合う対等な関係性を築こう。なりきりなんかしているようなヤツ⋯メタ思考が完全に欠如しているから、タルパと称する存在の言動が、実は自分の本音だと気づきづらいだろう。
タルパの一人二役における課題の分離
幼児期におけるお人形さんゴッコは⋯他者視点を養い、正常な対人関係を築く上での基礎訓練となる。他人がどういう存在なのか理解するのだ。タルパ作りの初期段階においても、その点は共通していると言える。しかし、お人形ゴッコを卒業して、同年代の子らと団体的な行動、遊びを主とするプロセスへの移行があるように⋯タルパ界隈の一人二役の訓練になりきりを完全に終結させて、相対化のプロセスへ進む具体的な理屈や説明がどこにも見当たらない。それ以前に無意識の本質、定義も曖昧であるのだが⋯何をもって予測脱却と言っているのかイマイチ納得できない。これでは他者視点を自分の都合に合わせてくれるものだと誤解し始めるようになる。とりま、フロイト心理学だけでタルパの自動化を語るのは現象論であって十分な対策にはならない。アドラー心理学も必要だ。
本当の自動化で幸福へ突き進む
タルパの自動化とは⋯タルパと面と向かって対話できる状態にすることだ。一人二役は初期段階におけるタルパのキャラ作り、設定調整、テストのような基礎訓練としては有効的だろう。しかし、常態化は禁物だ。所持者とタルパで相対化を図るには⋯タルパ作りを始めた動機を所持者の目的、課題として改めて認識して、タルパの自動化がそれに沿うようになるのか否かは、他者視点の存在としてのタルパをどう導くかメタ思考的に捉えて行く必要があると言える。単にタルパと向かい合うのではなく⋯さらにそれを俯瞰した意識も持つこで、自分とも向かい合うことができ、投影やタルパとの不自然な一体感の伴う言動を抑制することができるようになる。投影は第三者的、客観的な視点で抑えられる。強い葛藤を一時的に生み出すがそれを乗り越えた先に真の自動化、幸福がある。